ちょっと前だったら、この名前を聞いても多分犯罪系方面に詳しい方以外は「誰だろう?」って感じだったんじゃないかな。平塚八平衛さん、この方は昭和の名刑事さんです。
捜査の神様と呼ばれ、昭和を代表する実在の刑事。通称「落としの八平衛」、彼の手がけた事件は殺人事件だけで124件、昭和の有名な事件「小平事件」「帝銀事件」「下山事件」「吉展ちゃん事件」「三億円事件」なども彼が手がけた事件の一部です。
ちなみに「カクタホテル殺人事件」という事件においては、「スッポンの芹さん」こと、鑑識の神様、芹沢常行さんと一緒にお仕事をされていて、個人的に注目している事件だったりします。(マニアックすぎますね。。ごめんなさい。。汗)
先日日本に一時帰国した際、ちょーど二夜連続スペシャルとかで渡辺謙さん主演で「平塚八平衛~刑事一代~」というドラマがあったので、あれをきっかけに知った人も多いのではないしょうか?
ちなみにあのドラマがあった2日間とも、ちかっぱ忙しかったわしは見れずにひじょーーに悔しい思いをしました。(ちなみに2日目は台湾に帰国する日だったので、見れなかったのです。。)
犯罪・事件プチオタク(ああ、自分で言っちゃったよ・・・)としては、これを逃すなんて考えられなかったとですよーー!!「でもきっと近々you tubeで誰かアップしてくれるはずだ!」と自分を鼓舞し、とりあえず泣く泣く諦めたわけですが、結局you tubeにも数シーンくらいしかアップされておらず、崩れ落ちました。。。。
昨日何気なくveohで検索かけてみたら、なんとなんと2日目の「吉展ちゃん事件」のみアップされていて、ちかーっぱ嬉しかったとです☆どちらかと言うと、一日目よりこっちのが見たかったのだ☆
さっそく見てみたんですが、ちかーーっぱ面白かったです。配役完璧だと思う。
平塚八平衛役の渡辺謙はもちろん、一番個人的にハマリ役だったなぁと思ったのが、吉展ちゃん事件の犯人、小原保を演じた萩原正人。マジですごかったと思う。。
小原保は、写真は見た事があっても実際映像さえも見た事ないです。でも、すっげーなんていうか…本当にこんな人だったんじゃないか?ってすっげー思わされるような。。うまく説明できんですけど、取り調べから、自白のシーンまでものごっつ迫力ありました。
この「吉展ちゃん事件」の際の平塚八平衛と小原保との逸話は有名。それを今回はちょっとご紹介。(最近犯罪系の記事、放置しっぱなしだったしな)
昭和38年、3月31日、東京都台東区入谷で建築業者の長男村越吉展ちゃんが、近くの公園から何者かによって連れさられた。
2日後、犯人から身代金五十万円(現在の五百万円相当)を要求する電話があり、母親が犯人の指定場所に金を持参した。ところが現金受け渡し時に警察は犯人を取り逃がし、その上身代金まで奪われてしまう。
事件発生から2年、ポスターの呼びかけもむなしく、容疑者逮捕に至らないまま、捜査本部は解散。しかしその2ヶ月後、別の事件を捜査していた平塚八平衛が召集された。こうして八平衛たちは捜査を一からやり直す事にした。
ほどなくして、テレビで流した犯人の肉声を聞き、「自分の身内にそっくりだ」と通報があり、小原保が逮捕される。
しかし小原は頑として口を割らず、黙秘を続け、事件に関係のない話になると饒舌になった。声紋鑑定からも、小原の態度からも明らかにやったのはこの男だと確信し、平塚八平衛をはじめ、刑事たちは粘り強く取り調べを続けた。
ただしこの男にはアリバイがあったのである。昭和38年3月27日から4月3日までは、郷里の福島に帰っていたといい、身代金の受け渡しがあった2日に同じ村に住む老婆が、近くの病院に通院の際、小原の姿を見ていたのだった。2日の日、小原は東京におらず、事件を起こす事は不可能だということになっていた。
ところが改めて調べなおすと、この証言が老婆の間違いであった事が判明。老婆が持病があり病院に通っていたのだが、小原を見たのは2日ではなく、その前の通院日であった3月28日だったのである。
しかし平塚はこういった事実を、一切小原にあてなかった。拘置期限切れと同時に自白させ、一気に逮捕状を取ることをもくろんでいたからである。
しかし翌日になり、直接的な証拠や物証がないため、上層部より「取り調べ一時打ち切り」の通達が平塚のもとに届けられる。その後はFBIによる声紋鑑定に回される事に決まり、その声を録音する短い間だけ、平塚達に取り調べをすることを許可される。
ここでの小原の一言が、アリバイを崩れさせるきっかけとなる。
(平塚)「東京へ帰ってきたのはいつの日だい?」
(小原)「火事の日なんです」
(平塚)「お前、日暮里の火事、どこで見てたんだい?」
(小原)「山の手線かなにか」
(平塚)「その時の、火が燃えてんの見てんの、君は?」
(小原)「わぁっともう真っ暗になるほど、煙が出てきたんだ」
実はこの小原が目撃したという、日暮里の火事は、4月2日の午後3時ころ、荒川区日暮里の倉庫街から出火、つまり、福島にいたと主張する4月2日、小原は東京にいたということになる。
こうした小原の動揺を平塚たちは見逃さなかった。アリバイ証言の嘘を次々に小原にあてた。しばらくして小原はこう言った。。。
(小原)「吉展ちゃんの事件に関係があります・・・」
「何から話したらいいでしょうか?」その後、小原は人が変わったかのように、犯行のすべてを話し始めた。
そしてその供述どおり、吉展ちゃんは7月5日、自宅から程遠くない円通寺の墓地から変わり果てた姿で発見されたのである。
しかし頑なまでに自供を拒んだ小原が、なぜ犯行を認めることになったのか?
取り調べの最中、平塚は小原の郷里で捜査を行った際の、母親とのやりとりを小原に話していた。
「息子がもし本当に人を殺したのなら、死んでわびろと言ってください。その代わり、私も後を追って死ぬからと・・・そう伝えてくれと、お前のお母さん、こんな状態だったよ・・・それでもね、泣きながらね、刑事さん、保に早く本当に事を言わせて解決つけてくださいと。お前たまにはおふくろの姿をね、頭に浮かべたことあるのかい?」
この一言が、小原に自供を決意させたと言われている。
死刑執行の日、小原は傍らにいた看守に「今度は真人間になって生まれてきますから、と平塚さんにお伝えください」と言ったそうで、その事は看守自らが平塚に電話で伝えた。
以上が昭和の最大事件の一つ「吉展ちゃん事件」の概要です。
退職後、平塚は小原の墓参りにも足を運んだんだそうです。小原保のその墓石さえもない墓に静かに手を合わせに。。。
でも平塚八平衛の名は知ってるし、手がけた事件の事は知ってるけど「そういや彼の本を読んだことがないな」と思い、今日微風広場に散策しにいってきました。「9割方ないだろうな・・・」と諦めていたんですが、
あったーーー☆☆☆
←まさかあるとは思わなんだーー☆☆
ソッコー購入し、家に帰って今から読むのが楽しみでならんわー♪
でもまずは宿題&予習を片付けねば!!!!
最近のコメント