叔父ちゃん、ありがとう。
人は生まれながらにして死刑囚ってむかし母に言われた事がある。
死刑囚って、死刑がいつ行われるとかって昔は直前まで知らされなかったそうだ。
死刑囚を収監した牢に看守の靴音が響く。そこで「ああ、今日も誰かが死刑になるのだ」とみなが思う。靴音が自分の独房に近づく、鼓動が速くなる、ああ、隣の房の前で止まった、今日は自分じゃなかった…今日も生き延びることが出来た…
つまり死ぬ事って、人は産まれた瞬間から絶対避けられないし、決まってる。それは明日かもしれない、1週間後、1年後かもしれない。だから毎日を精一杯生きなきゃだめだって。いつまでも明日があると思っちゃだめだって。
1週間前、母から連絡を貰った。大阪に住む叔父の容体がよくないという。
叔父は長いこと癌と闘ってきた。母は「もしもの事があれば、帰ってこれる?」とわしに聞いた。「難しいかもしれないけど、もしもの時は帰る」と答えた。
それから3日後、叔父が亡くなったと母と兄から連絡が来た。でも父は「ちぃは今海外にいるし、帰ってくるのは大変だ。2月に帰ってくるから、その時でいいから」と電話口でわしに言った。
「お葬式に参列できなくてごめんなさい…叔父ちゃんに最後に会いに行けなくてごめんなさい」と、毎日手を合わせていた。
叔父はいつも笑ってる、穏やかで優しい人だった。以前は学校の校長先生だった叔父。子供たちからもとても慕われていたそうだ。
昔、大阪に遊びに行った時も、活発な親戚の子供たちの中で、いつもどん臭く、はじっこでぼんやりしてる事が多かったわしを常に気遣い、いつも優しくしてくれたのも叔父だった。「ちぃは大人しい子だけど、とっても可愛い」と言ってくれていたのだそうだ。
あの頃、「叔父ちゃんがわしのお父さんだったらなぁ」と思っていた。笑 なつかしい・・・・。
今日兄から「無事に初七日、お葬式終わったよ。参列者がとっても多くて、叔父ちゃんの人柄を表す素晴らしい式だったよ」って。
2年前に祖母に先立たれ、そしてまた今回息子にも先立たれてしまった祖父の事が心配、叔父は苦しまずに安らかにいけたのかどうか、聞きたい事は山ほどあったけど、今は何だか聞くべきじゃない気がして、その事にはふれずにお疲れ様、という内容を返した。兄からのメールにはこう書いてあった。
「今回の事でも色々考えされられたよ。ちぃもいつまでも親や周りの人が、元気でいてくれると思ってたらいけんよ。今こうしてそっちで生活できてることも、親に負担や心配をかけてる事も忘れちゃいけん。ちょっと説教臭くなったけど、こういう機会がないと言えんけんな。とにかく元気で頑張ろうな」
兄はいつも大事な時に、いろんなヒントをくれる人だ。そしてわしは今回の事で、また色々考えさせられた。
いつも心がけてるつもりでも、こういう事があると本当に改めて考えさせられる。
自分の夢があるからといっても、この年でここに来て生活してるって事がどれだけ親に負担や心配をかけてるかもわかってるつもりでもね。こういう事を言ってくれる人だって、自分を支えてくれる人だっていつまでいるか分からんし、むしろ自分が先に逝ってしまうかもしれん。その時に出来るだけ後悔しないように、その日その日を精一杯生きなきゃいけんのんよなぁと。
わし、これからも毎日感謝を忘れず、後悔せずに、日々を生きてく努力をします。
叔父ちゃんが身をもって教えてくれたメッセージ、わしらはちゃんと受け取ったよ。
叔父ちゃん、もう痛い思いやきつい思いしなくてもいいんだよね。長い事、癌との闘い本当にお疲れさまでした。ゆっくり休んでください。
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こんばんはネコです。
色々と大変でしたね。
叔父様も天寿をまっとうし、
こうしてちぃさんの心の一部になれていることを天国で
喜ばれているのではないでしょうか。
お母さんの「死刑囚」の発想は考えさせられますね^^
謹んで叔父様のご冥福をお祈りし、お悔やみ申し上げます。
投稿: ネコバーナ | 2010年1月22日 (金) 01時25分
>ネコバーナさん
コメント謝謝です☆
ありがとうございます、叔父もきっと喜んでくれている事と思います。前回日本に帰ったときに会えていたから、それだけは本当に良かったなって思います。今はがんとの闘いからやっと開放され、ゆっくり休んでほしいと願うばかりです。
本当に人が死ぬ順番って、年齢でもいい人悪い人の順番でもない。いつ死ぬかわからないからこそ毎日を大事に大事に生きてかなきゃなんだなって思いますね。
投稿: 管理人ちぃ | 2010年1月22日 (金) 10時51分
ご冥福お祈りいたします。
お腹の赤ちゃんに心臓が出来てきて(心拍が確認出来て)
「これから死ぬまで、この心臓は止まることなく動き続けるんだよ。」
と先生に言われ、命の重みを感じた時
ちょうど旦那のおじいちゃんが亡くなって
生と死について考えました。
たまたまmixiを開いたら、ちぃちゃんが誕生日なことに
気づいたので『おめでとう』とコメントしようと思ったら
おめでとうと書ける雰囲気の内容じゃなく・・・
投稿: バンビ | 2010年1月23日 (土) 09時19分
ちぃの叔父さん、お疲れ様でした。
人はいつどうやって死ぬかじゃなくて、それまでどう生きるかが大切だって私は常々思ってる。
だからちぃの叔父さんは、たくさんの人に温かく送られるような素晴らしい人生を過ごしたってことだね。
親も自分もいつかその時を迎えるし、今が永遠に続くわけじゃないって思うと、果たして現状の自分でいいのかって自問するよね。
でも私は離婚と病気を経験して思ったのは、親は子供がどこに居ても、何をしてても、笑顔で毎日を過ごしていることが一番幸せって感じてくれること。
親元にいたって、私が辛い時は親も本当に辛そうだった。
だからちぃは今台湾にいる毎日をしっかり噛みしめて、お父さんお母さんにその幸せを感謝してれば、きっとご両親も嬉しいはずだよ。
投稿: xiangzi | 2010年1月23日 (土) 13時09分
>バンビちゃん
コメント謝謝☆
どうもありがとう、おじもきっと喜んでくれてると思う☆
人ってこういう時や何かきっかけがないと、なかなかこういう事って考えないよね。わしも今回の事で、何だか本当に色々と考えさせられたよ。命のバトンじゃないけど、叔父が死んだその日に、新たに生まれた命もきっとたくさんあるわけで、なんだかとても不思議な感覚があるなぁ・・
今日が誕生日だけど、誕生日を迎える前にこういう事を考えさせられたのも何か意味があっての事なような気がするんだよね。
気を使わせちゃってごめんね!でも大丈夫です、悲しい事だけど、死ってそこで終わりじゃないって事も分かるから、今はただ少しの間だけのさよならだって思ってるから^^
投稿: 管理人ちぃ | 2010年1月23日 (土) 14時58分
>xiangzi
コメント謝謝☆
結構打撃受けてたり、考え込んだりした時のあなたのコメントはしみるわ。苦笑
そうだね、生きてきた人生の過程にきっと後悔はなかったと思う。たくさんの人に惜しまれて逝った事がそれを証明してるし、怒ってる所なんて見た事なかったからなぁ。。。本当に素敵な叔父だったから、きっとあっちの世界でも、生まれ変わっても人を笑顔にしてくれてるんじゃないかな☆
子供の考える親の幸せ、親の考える子供の幸せ、お互い分かってるようでそういう所って、やっぱり親の愛の深さを痛感する。以前何かの本で「虫1匹に逃げ惑う女でも、母になれば獅子とでも闘える」って見たけど、生活してる上でも、そういう話を聞いたりしても決して誇張じゃないって思うよね。
親の事を安心させる事も、もちろん親の幸福につながるからこれからも心がけていくけれど、xiangziのいうとおり、笑顔で健康に大事な人達に支えられてるこの生活に感謝して、生きてく事がなにより一番大事な事なんだよね、きっと☆
投稿: 管理人ちぃ | 2010年1月23日 (土) 15時05分
久しぶり!!
命の尊さ、儚さを改めて考えたよ☆
そんななか、23日は誕生日だね♪おめでとぉ!!
20代最後の年がより輝いたものになりますように☆
投稿: やま | 2010年1月23日 (土) 18時40分
人の死については、ある意味私は就職して以来ずっと関わっているし 考えさせられているなぁ。
考える度にやっぱり、後悔のないよう孝行しておこう、とか人の有り難みとか、色々感じるよね。
叔父様、本当にお疲れさまでした。ご冥福をお祈り致します。
投稿: へいしろ | 2010年1月24日 (日) 00時16分
>やま
コメント謝謝☆
おお、マジで久しぶりーーー!元気しとった??
この年になると「誕生日がめでたい」なんて思えなくなるけど、それでもたくさんの人にお祝いしてもらったり、温かい言葉を貰ったらこれだけ生きてきた事にもすっごい意味があるんだなぁって思うなぁ。
こういう時もしかり、誰か大切な人が突然目の前からいなくなった時、本当に改めて考えるね。わしも1日1日をもっと大事にしてこうって思う。感謝の気持ち、忘れないようにしたいな。
投稿: 管理人ちぃ | 2010年1月24日 (日) 14時48分
>へいしろ
コメント謝謝☆
人の死って本当に考えさせられるね。それが身近な人ならなおさら深く刻まれる。それと同時に自分がいかに幸せなのかも感じるから、まわりに感謝してかなきゃいけないって本当思う。
生きてられること、まわりに心配してくれたり気にかけてくれる人がおるって本当に幸せな事やんね。
今はただおじちゃんがゆっくり休んでくれる事を祈りたい。どうもありがとうね、叔父ちゃんもきっと喜んでくれてると思う。
投稿: 管理人ちぃ | 2010年1月24日 (日) 14時52分