おもひでの台灣故事館
本日仕事で資料の更新をしていて、いろんなテーマパークの情報をネットで調べていて、衝撃の事実が!
台湾故事館が閉館してた!!しかも結構前に!!
一番最初に台湾に旅行に来た時、友達に連れてきて貰ったんだよなぁ。。。
台湾故事館は台北駅の前のビルの地下にあった、日本統治時代の古い町並みを再現したテーマパークでした。
http://www.tabitabi-taipei.com/topics/20060327/(旅々台湾のHPの台湾故事館紹介ページ)
行ったのは一度きりだったけど、無くなったんだと聞くと、やっぱり寂しいものがあるなぁ。
そうだ、ここのレストランで産まれて初めて香草(パクチー)食べたんだ。そしてあまりのまずさに
ごわっっ!!!!
と仰け反りそうになったのも、今はよい思い出だわ・・・あの日からもう5年以上も経つなんて・・・。
あの頃の私はまさか自分が、数年後に台湾に来ることになり(そしてそのまま居座り)、パクチーはおろか、鶏の脚やら心臓やら、アヒルや豚の血やらを、自らの意思で買い、ガツガツ食べるようになるなんて、想像もしなかったろうな・・・・・。
あの頃の私が、今の私を見たらどう思うのだろうか。。。。
スゲェ!!!
と思うのだろうか?それとも
うわー、こうはなりたくないわぁ。ひくわぁ。
と思うのだろうか。
・・・・・・・・・。
話は戻るけど、台湾故事館はどうも資金面で経営が厳しかったみたいで閉鎖に至ったみたいです。結構チケット代高かったし、あんまし人入ってなかったもんなぁ・・・。(彼も行ったことないらしい)
でも、良い所だったんだけどね・・・残念です。
どこかの会社の経営者が資金を出すって話もあったみたいだけど、結局立ち消えになってしまったみたいで完全閉館になってしまった。ちなみにここ、現在はスポーツジムになってます。
そうだ、完全閉館といえば、中影文化城。。。あそこも再開されるとか言われてたけど、結局未だに無期限休館のままなんだよな。
なんだそこ?聞いたことないぜ、って人がほとんどだと思うんだけど、驚くことなかれ、ここは日本でもブームを巻き起こした「来来キョンシーズ」が撮影された場所ですよ!!
日本でいう映画村みたいな感じですね。
ググると、いっぱい写真出てきますよ♪
なんでも台湾で数年前に上映された映画の「セデック・バレ」の撮影で使われたそうなんだけどね。 全く使ってないわけではなく、一般公開だけがされてないって事なんだろうか。
まだ「完全閉鎖!」っていうわけではないし、希望を持ちつつ、再び開館する日を待ちたいと思います♪
いっつも故宮とか、陽明山に行くときに前を通るんだけど・・・がらーんとしてます・・・。再び開館するのは難しいのかな。キョンシー世代としては、是非とも行ってみたい場所なんだけども!!
ちなみに来来キョンシーズのスイカ頭役の人、今はこんな風になってます。台湾の俳優さんになってます。
いやー、すっかりイケメンさんに成長してますね。言われんやったらわからんね。苦笑
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はじめましてー
愛台人のロータリーともうします。よろしく。
「台湾故事館」に記事でグッときましたー、わたしも同感、もったいなく思っていました。
わたしのブログ「沖縄台友会」 http://6626.teacup.com/vfj6/bbs でちょうど写真を貼り付けたところでした。よろしかったら、ぜひ覗いてみてくださいますよう。
尚、瀬良垣譲二氏の写真ブログ「台湾超級街巷」もご覧ねがえれば幸いです。
謝謝・再見
投稿: ロータリー | 2015年1月 9日 (金) 09時17分
>ロータリーさん
コメント謝謝です☆&はじめまして☆
賛同してくださり有難うございます!!本当に良い場所だったので残念です。。どこか似たような所がないか探していて、台湾故事館よりも規模はだいぶ小さくなるのですが、台中にある台灣香蕉新楽園は雰囲気がとてもよく似ています。以前台湾故事館に置いてあったマスコットキャラクターの置物があったので、もしかすると何か関係があるのかもしれません。機会があれば是非☆
どちらのブログも拝見させていただきました、通常日本人の方があまり行かないところにもたくさん行かれているのですね!のどかな街中や田舎の風景の写真は良いですね☆日本にはない情緒がたくさん溢れています^^
投稿: ちぃ | 2015年1月 9日 (金) 15時43分
さっそくのレス多謝ー
我的ブログみていただいたそーで、ありがとうございました。
ああ、台湾から新婚生活を始められるそうで真におめでとうございます。
新居は新北市ですか、新北市も広うござんすですが、以前「板橋鎮」文化路に住んでい
ましたよ。
1970ごろですが(生まれてました?、えーーと、そんなわけないか・・・)
搬家は疲れますので、ご自愛のうえ新婚生活を楽しまれてください。
多謝ー・謝謝
投稿: ロータリー | 2015年1月10日 (土) 16時25分
>ロータリーさん
コメント謝謝です☆
有難うございます^^板橋に住むのは初めてなので、文化路はちょっと分からないのですが、1971年頃に住んでいた、とかかれているのを見て、とっても羨ましい気持ちになりました。その頃の台湾なんて、それこそ今と全然違うのでしょうし、今はもう見れないその時代を知っているっていうのは、私的には本当に羨ましいです。やっぱり今とは全然違う雰囲気だったのでしょうね。日本人なんて、今は町を歩けば結構耳にしますが、その頃は旅行で訪れる人もきっと今ほど多くなかったのでしょうし。
引越しは本当疲れますね。苦笑 でも嬉しい引越しですから、精神的にはきっと元気でいられると思います☆ありがとうございます^^
投稿: ちぃ | 2015年1月10日 (土) 17時31分
ちぃ小姐好!
70年代を羨まがっていただいて?光栄です。今より、ずっとずっとエキゾチックでロマンチック?でしたー。辻々には白い服の憲兵隊4名ほどが立っていて、怪しい?学生たちが尋問されてました。住宅アパートの一階部分は店や、ちいさな繊維工場が建ち並んで「ジャージャー」と、織り機の音があちこちから・・・文化路には大きな紡績工場が在って中学出たてのような小妹たちが3交代勤務で、夜中でも裸電球眩しい夜店でキャーキャー嬌声を響かせていました。これが台湾赴任の第1日目の眠れない夜の光景・・・私の台湾の原風景のようで、これを求めて今でも台湾を徘徊しているよーです。思えば、この小妹たちが今日の台湾の基礎を作ったんでしょうねー
あ、長くなりました、このへんで失礼します。
PS、新居が板橋とは、全くの偶然、先のレス・コメントではじめて知りびっくりです!
投稿: ロータリー | 2015年1月11日 (日) 09時35分
>ロータリーさん
またまたコメント謝謝です☆
話を聞いているだけでワクワクします☆私は台湾映画の「恋恋風塵」が好きなんですが、あれは確か60年代末の台湾が舞台だったはずです。主人公とヒロインの二人が台北に働きにくるんですけど、まさにあんな感じだったのかなぁ。。。と想像を張り巡らせてしまいました☆その時代を知っている日本人ってすっごく少ないと思うので、本当に素晴らしい事だと思いますし、心底羨ましいです>< その時代だと香港にもすごく興味があります。貴重なお話を聞かせて頂き本当に謝謝です☆
板橋もそんなに台北市内ほど日本人は多くないと思うので、私もびっくりです☆お陰様で色々聞くことが出来て本当に嬉しいです☆その時代を知っている台湾人は多くいても、日本人で知っている方は本当に稀だと思いますから☆大先輩とのご縁に感謝いたします(笑)^^
投稿: ちぃ | 2015年1月11日 (日) 22時45分
ちぃさん、おいそがしいなか、またまたのレス多謝ー
あ、「恋恋風塵」、わたしもデージ(大)好きですね、平渓線にものりましたー
候孝賢監督-はあの頃を描くのは、天才的ですね、多分「写真眼があるのではないか」
と勘ぐっています。ロケ地の下見 http://www014.upp.so-net.ne.jp/morimoto/
すごいよーです。
あの頃の街も人も、特に小妹・小姐も全くあのママ、純真そのものでした。
ある時、会社のレクリェーションがあったのですが、行先はたしか、新店の河原でした
そこで皆でマスゲームをしたり、キャンプ・ファイヤーをやったり、涙が出るほど純真そのものでしたね。
夜、わたくしめは、うろ覚えの「アポリネール」の「ミラボー橋の下セーヌは流れる」http://blog.goo.ne.jp/0390_2006/e/00f0f1bb39c27e5d0c4b1604fd3b0d96
を不完全極まりない中訳でやったことを、いまも覚えています。そのころの友人とは今もお付き合いして、年に一度の旅行に行ったりしています。
その頃の中華路は日本人あいてのお土産やがのきを連ね、打八折を連発していました。
中華路の裏は蒸気機関車が走っていました。そーそー「人形(ワーワー?)の大好きな小妹」
とこの辺りでデートしたことを思い出しましたー。
長くなりました。切りがありませんので、本日この辺で・・・お暇なおりレスで結構ですので・・・
多謝・再会
投稿: ロータリー | 2015年1月12日 (月) 19時31分
>ロータリーさん
コメント謝謝です☆
この映画本当に良いですよね☆ほとんど台湾語なので、私は字幕無しじゃ無理なんですけどwこの貼り付けて頂いたHPも実は見たことがあるんです☆ちなみにこの主人公の男の子を演じられた方は去年癌だったかな…お亡くなりになったというニュースを見て本当にショックでした。九份にあった映画館、昇平戯院はご存知ですよね?(もはや釈迦に説法という気がしますがw)以前廃墟だった時は恋恋風塵の看板がそのまま残っていて、すばらしいなぁと思っていたら、新しくオープンするにあたり、無くなってしまって本当に残念に思いました。
お話をお伺いしていると、その頃の情景が目に浮かぶようです^^
投稿: ちぃ | 2015年1月13日 (火) 16時22分
ちぃさん好
一番好きなのは、「 呉念眞監督」の言わずと知れた「多桑 父さん」ですね、fixの地味なカメラワークで、あまり話題にならなかったのかも知れませんが、「底層の台湾の人の心」を見事に捉えたものでしょう。
「金瓜石」が舞台のよーですが、九份の映画館での「活動弁士」の語りはお涙モノです
「ひやぺん・こうらい・・・」、「まちこさ〜〜ん」「まちこさ〜〜ん」にはしびれました。
息子、文健が父の小さな遺骨の箱?を持っての日本訪問も「富士山や二重橋」を生きてる間に本当に見せてあげたかった。と、思ったものでしたー
これに刺激され?わたしも沖縄版・古早味的映画を2本も作成するハメになりました。
それと、ちぃさんの大先輩にあたる?戦前から終戦の激動期に台湾に住み着いた日本人女性たちを
取材したドキュメント映画「さらば故郷=台湾に渡った日本婦人達」をも作成。出演された本人の方々にも差し上げました。もし、興味がありましたら申し付けください、喜んで進呈仕りますので・・・・
多謝・再見
投稿: ロータリー | 2015年1月14日 (水) 12時37分
>ロータリーさん
コメント謝謝です☆
その映画、かなり有名だそうですが、恥ずかしいことに私はまだ見たことがありません…。九份の昇平戯院でも週末に『悲情城市』『恋恋風塵』『多桑』等が無料上映されているそうですね^^
あの時代の台湾映画って、今の台湾では見られない自分は知らないはずなのに、どこか懐かしい雰囲気が漂っていて、本当に素敵です。でも九份の裏道なんかを歩いていると、あまり当時と変わっていないんだろうなという街角に出会えたりして嬉しくなります☆
映画の作成までされていたなんて!!色々な才能がおありなのですね!今とは違って、メールやインターネットもない時代、異国にとついでその地に残るってどれほどの覚悟が必要だったのだろう…と考えてしまいます。今の状況でもすぐホームシックになる私には当時結婚して残るなんて、とても無理だったでしょうね・・・
投稿: ちぃ | 2015年1月14日 (水) 14時40分
ちぃさん好
兵役で大変なおり、レス多謝ーー
そーいえば友達の娘さんに「ちーちゃん」っていましたー、3歳くらいから知っていますがもう、子持ちのおかあさん、しています。うちの子は風邪ひいたり、いろいろしたのですが、彼女は病気なんて縁のない黒美人(オーランキーコ=黒人牌歯磨き粉って台湾で流行ってましたー)健康優良児でした。
映画のほうは、出来はともかく、「オール・アマチュア・手弁当」で仕事が休みの日曜日に配役とか、スタッフみな物好きが集まって撮影。不要銭で、ひと夏かけてつくったものです。けっこう楽しく燃焼したものです。
むかしの女性を取材してみて思ったのは、「スケール感がデカイ!」とおもった事、兎に角、女性は今でも度胸があって畏敬の念をいだいていますが、、、1992年ごろ、この方々が歴史から消えてなにも残らない。では困りますので、「崖っぷちの記録」のお手伝いをさせていただきましたー・光栄です。
昇平戯院が蘇った姿はまだみていません、あの看板の奥を想像するだけで「ふんわか」したのですが、生のリアリティーになってしまったのですね・・・
多謝ーー・再見
投稿: ロータリー | 2015年1月14日 (水) 17時21分