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ぺそぎん時計

殺人者・事件関連

復讐するは我にあり(西口彰連続殺人事件)

金田一耕助シリーズのDVDを見ている内に、なぜか無性に昭和の映画が見たくなった。というわけで『天国の駅』と『復讐するは我にあり』を見てみた。 

 

 

どちらも初見。『天国の駅』は日本閣殺人事件を元に作られたもの。日本閣事件は個人的にすごく興味をそそられた事件で(というとちょっと言い方は悪いですが💦)書籍も色々読み漁ったが、映画はかなり美化されている印象で正直イマイチ。 

 

しかし『復讐するは我にあり』は色々とすごかった。小説は以前読んだことがあったけどそれもだいぶ昔だったし、正直あまり印象が残ってなかったのだが。 

 

まずはモチーフとなった西口彰連続殺人事件の概要についてはこちらのWikipediaを見ていただきたい。

   

 

西口彰の犯行はすべて金欲しさからだ。映画を見ていてもおよそ『人情』のようなものが感じられない。 

 

 

福岡で専売公社職員2人を殺害したのを皮切りに、全国をまわり合計で5人もの人を殺害。  

 

 

この福岡での2人の殺害シーンは・・・エグかったです。見るの結構つらかった。 

 

 

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まずは58歳の顔見知りだった男性を『近くに知り合いがいるから、酒を飲みに行こう』と誘い、ハンマーで頭を滅多打ちにして殺害。 

かぶっている帽子が血に染まっていくところなんて本当にリアルで😭  

 

殺される前に『これ家族にお土産になるかな?』とか『まもなく定年だから』なんて会話を榎津(劇中では西口は榎津という名前になっています)と交わしているシーンがあって、この年齢まで一生懸命家族のために頑張ってきて、こんなつまらない理由で殺されてしまうなんてと思うと余計に胸が痛くなった。 

殺し方もまた残忍なんだもの…   

 

ちなみにこのシーン、榎津を演じた緒形拳さんは『まるで西口の魂が自分に降りてきたようだった』と語っていたらしい。どおりでえらくリアルだったなぁと💧

 

その後、運転手だったもう一人の30代の男性も出刃包丁で刺して殺害します。 

 

 

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一人目を殺した後、二人目の運転手の男性を殺しに行く前に雑貨屋に立ち寄り出刃包丁を買うシーンがあり、『一番安いのでよか』というセリフにゾッとしましたよね…。 

 

運転手の男性は運転中にいきなり榎津から首を出刃包丁で刺されるんですが、『娘がいるんだ、命だけは助けてくれ』と懇願。『病院に連れていってやるから言うとおりにしろ』なんていいながら、結局最後には包丁でめった刺しにして殺害する冷血っぷり。
 

実はこれらの撮影、実際に犯行が行われた場所で行われたというからびっくり💦 

 

今村昌平監督はリアル!をとにかく追及していたらしいけど、後述する老人弁護士のシーンでも実際の犯行現場となったアパートの向かいの部屋を借りて、そこで撮影されたというから驚き(事件現場の部屋は家主が断ったからなのかなんなのか、無理だったらしい。そこで間取りも同じの向かいの部屋に頼んだところ、そこの学生さんが監督のファンだったとかで快く貸してくれたのだそうだ)。 

ちなみに静岡の浜松で母娘を殺した際の現場となった『貸し席ふじみ』も映画撮影当時は現存していて、すでに新しい住人が住んでいたそう、そこでぜひ撮影に使わせてほしい!と申し入れたところ、『息子が受験を控えていて無理です』と断られてしまったので、泣く泣くセットを作っての撮影になったらしいです。いや、すごいな監督。苦笑 

 

 

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浜松に流れ着いた榎津は貸し席ふじみの母娘と親しくなり、41歳の娘とは体の関係も結ぶ。 

 

映画の中では母親のほうは過去に殺人を犯した過去があるとなっていたけど、これはさすがにフィクションですよねぇ?💦 

 

41歳の娘はるは心底榎津に惚れこんでいて、榎津の正体に気付いた後も警察に通報せず、一緒に生活し続ける。 

 

・・・が、このはるをも無情に殺すのです。殺される直前までは普通に話をしたり、仲良さそうにしていたのにいきなり・・・殺される時のはるの、悲しいような諦めたような表情が悲しかった。。。  

 

 

でもって監督…はるが殺された際の失禁とかもちゃんと再現してて、細かいところまですごいなぁ💧となった。 

生々しかったけど、それほどまでにリアルを追求していたのかと。

 

母娘を殺した後に旅館のものを質屋に売ったりしているあたり、やっぱり金目当てだったのだろうか。この母娘の殺人だけは西口は動機を聞かれた際に『自分でも分からない』と答えたと言われていますが…。 

 

 

ちなみにこの『貸し席ふじみ』の外観の写真はアフロというサイトで見ることができます。他にもアフロでは裁判中の西口や、最初の犯行現場となった場等等も見られますよ。 

 

その後にも弁護士をかたり、裁判所である老人弁護士と知り合う榎津。 

 

 

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そのあと場面が変わり、 

 

  

 

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商店街のお肉屋さんでお肉を購入する榎津(余談だけど、こういう昭和の映画やドラマは当時の町の様子なんかも見れるから好き。こういう時代の建物だったり雑貨だったり好きなのです)。 

 

ああ、弁護士先生と家ですき焼きでもつつきながら一杯やるのかしら。

 

 

 

…と思ったら

 

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雑貨屋さんで金槌購入。ヒィィィィ、これ絶対帰ったら殺るやつやん😱

 

 

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買い物袋を抱え、老人弁護士のアパートへと戻る榎津。前述したとおり、このアパートで実際に犯行が行われたそうです(ちなみにこの場所、今は別のアパートが建てられています)。ユーチューブのこたつさんという方の動画で現在の様子を見ることができますよ。 

 

 

ああ、帰ったら殺るのかしら…。もう殺人シーンはお腹一杯なのだが…とドキドキしていたら 

  

 

 

 

 

 

 

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もう殺ってたんかーい😱😱😱 

 

 

それにしてもこの弁護士先生役の加藤嘉さん、先日見た『八つ墓村(1977年版)』でも出てきて早々に毒殺される役だったんだけど、まさか『復讐するは我にあり』でも同じような役だなんて😅 

 

ちなみにこの老人弁護士を殺害したのもお金や弁護士バッジ、裁判資料を盗むため。後に警察になぜ殺したか聞かれた時も『詐欺をするより、人を殺すことのほうが簡単だから。』と答えたというから恐ろしい。さすが裁判長や検事に『悪魔の申し子』『史上最高の黒い金メダルチャンピオン』と言われただけある…。 

 

映画はそのあと榎津が掴まり死刑になり、彼の父親と妻が彼の骨を散骨するところで終わる。 

 

 

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さて、映画では端折られていましたけど、西口が捕まったのは熊本県玉名市にある立願寺の古川泰龍氏のもとを訪れた際、古川市の10歳の娘である、るり子さんに正体を見破られたからである。 

 

るり子さんはいつも通学途中にある派出所に貼られた指名手配犯のポスターを見て、西口の顔を覚えていた。というのも西口の名前が同級生の男の子の名前と一文字違いで、印象に残っていたからだそうだ。 

急いでそのことを親に知らせるも、『失礼なことを言うな』と怒られてしまう。しかし長女も派出所にポスターを見に行き、間違いないということで警察に通報。 

 

この正体を見破るところから警察に捕まるまでが、以前アンビリバボーで再現ドラマになっていたけれど、本当に手に汗握る出来で見ていて鳥肌が立ったよ💦

 

それに後の供述で西口は元々この古川氏一家全員を殺し、金を奪うつもりだったらしい、もしるり子さんが見破らなかったら・・・😱 

 

 

逮捕された後、西口は荒れていた時期もあったらしいが、その間も古川氏はずっと西口を援助し続け、ついには彼の子どもの学費まで援助したという。そんな古川氏と触れ合う内に西口の中には大きな後悔の思いが生まれ、過去の自分を悔やみ、そして古川氏への感謝を常に抱き続けていたのだという。 

 

自分の息子が後に非行に走った際も『俺のようには絶対にならないでほしい』という手紙を送っている。父親として、せめて息子にはまっとうな道を歩んでほしい、そんな思いがあったのだろうか。

 

そして1970年に福岡拘置所で西口の死刑が執行された。享年44。 

 

ちょうと同じ時期に免田事件で後に無罪となった免田栄さんも収監されていたが、『死刑当日の服も自分で用意し、覚悟をしていて潔かった。あんな死刑囚は後にも先にも彼だけだった』と述べている。 

 

 

映画を見て、もう一度『復讐するは我にあり』を読みたくなったんだけど、父が読みたいというので実家に置いてきたのを忘れていた💦夏に帰省したら持って帰ってまた読もうっと。 

 

ちなみに『復讐するは我にあり』の中国語は『復仇在我』。

白銀市連続殺人事件 中国の死刑執行の早さよ。。

数日前、りんご日報で『連續性侵殺害11女 陸割乳淫魔 今被執行死刑』の記事が。犯罪系に興味のある私は『え、誰?』とやはり開いてしまいますよね。  

 
 
 
りんご日報の記事はコチラ
 
 
 
 
しかしすごいタイトルですよね。中国語が分からなくても、この漢字だけで大体の意味はご理解いただけるかと。簡単に訳すと『中国で11人の女性を殺害した連続強姦殺人鬼(ここはソフトに訳してます。だって割乳なんて・・・何と訳せば良いのか)の死刑執行』 
 
 
 
今日の記事は少し凄惨な表記も出てくるので、苦手な方はここで回れ右でお願いいたします
 
 
 
 
さて、見てみたら死刑囚の名前は高承勇というらしい。知らなかったので調べてみたら・・・こりゃ死刑になりますね、というシリアルキラーの典型ともいえるような人物だった。  
 
 
 
 
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左が高承勇(写真はネットからお借りしました)
 
 
 
高の犯行は1988年から始まり、被害者のすべてが女性。そして長い髪で赤い服をきた女性ばかりをターゲットにしていたと言われている。犯行場所は中国の白銀市と、内蒙古の包頭市という場所。 
 
 
犯行時間はすべて昼間で目をつけた女性の後をつけ(どうも目をつけた女性を長期に渡って観察し、何時頃仕事から帰るなど被害者のスケジュールをあらかじめ把握していたらしい)、部屋に押し入り殺害していた。 
 
その方法はきわめて残酷で、強姦したあと刃物で殺害していた。また死体を陵辱したり、中には殺害後に体の一部を切り取られたりした被害者もいたそうだ。
 
 
このような手口で計11人の女性を殺害している(ちなみに一番最年少の被害者は8歳)。  
 
 
 
高がどのように被害者を物色していたのかは分からないが、妻と学校にある購買店で働いていたのだそうで、そこの買い物客としてきた女性の中からターゲットを絞ったのか、もしくは町で偶然見つけたのかは定かではない。 
 
 
 
いずれにしろ、1988年から犯行を重ね、最後の犯行が2002年、その後2016年にDNAの一致によりようやく逮捕された。 
 
逮捕時、高は妻と購買店で仕事中であったが、警察官に『なぜ私たちがここに来たか分かるな?』と問われると、『分かっている。私が11人を殺した』と答えた。 
 
 
 
 
その後2018年の3月には死刑判決を受け(高は起訴せず)、2019年1月3日の朝に死刑が執行された。 
 
 
 
ちなみに中国の死刑は現在、銃殺か薬物注射の2種類らしいが、高は後者の方法で執行されたそう。(参照元はコチラ) 
 
 
 
 
すごいですよね。2018年の3月に死刑判決、1年も経たない内に執行。日本だと考えられないですよね。 
 
昨年末に日本でも2人の死刑執行があったけど、その二人が犯行を犯したの1988年ですよ!?もうね、びっくりしました。言い方は悪いけど、そんなに長く生かしておく意味ってなんだろう?だってその二人もお金欲しさに何の罪もない2人の命を奪っているわけですよ。
 
そもそもそんなに長いこと執行されないって、その間に被害者の遺族だったり先に亡くなったり絶対してると思うのですよ。 
 
 
 
故意に、しかも自分の欲望とかで人を殺害した場合、もっと早く執行していいんじゃないのかな?裁判とか何度も何度もする意味ってあるのかな?と考えてしまいます。ただ中国ほどこんなに早く執行されるのも『大丈夫なのかな?』という気がしなくもないですが。 
 
 
 
中国はね、確かにスピーティーだけど、あまりにもスピーディすぎて誤認逮捕とかだったら・・・とかふと考えてしまうからいや、科学捜査がものすごく発達している今、誤認逮捕とかそうないだろうけどもさ  
 
本人もしっかり認めてて、間違いが無いならスピード執行でも良いのではないのかなぁ。と今回の記事を読んで思ってしまいました・・・ 
 
 
 
そもそも日本は死刑判決ってあんまり出ないですよね。ちなみに台湾でもここ数年はほぼ出ていない。パパさんいわく、今の総統である蔡さんが死刑反対派らしいからという理由かららしいのですが、こんなひどい事しといて無期かい!って事件もあって、とことん加害者に甘いよなぁ。。。と思ってしまいます。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

八仙飯店一家殺人事件

先日の記事でも書いた『八仙飯店一家殺人事件』について、書きたいと思います。 

 
 
 
 
 
えー・・・・今日の記事内容にはグロテスクやショッキングな内容が多々含まれます。そういうのが駄目な方は本当に見ない事をオススメ致します・・・。 
 
 
 
 
この事件は、香港スプラッター映画の『八仙飯店人肉饅頭』のモデルになった事件でもあります。この記事を書く為に、Youtubeで見ましたが『うわっ、イタイイタイ!!』という表現が結構あり(女性の私は大事な部分に束の割り箸?と差し込まれて殺される女性の場面で思わず背筋がぞくっとしてしまった。。。汗) 
 
ご飯を食べながら見なくてヨカッタ。。。と思った作品でした。主役の犯人を演じたアンソニー・ウォンの鬼畜っぷりったら!しかし香港映画って。。。時に『・・・いいの?!汗』という表現が結構ある気がするのですが、気のせい? 
 
 
それでも『黒い太陽731』には遠く及ばなかったけども・・・・。あれは本当によく世の中に出せたなと思うくらいの作品でした・・・。731部隊の鬼畜っぷりをこれでもか!!という位ブッ込んだ映画ですが、内容もしかり、驚くべき点は、作中の人体解剖のシーンで本物の死体(しかも少年ですよ!!)を使うわ、猫を生きたまま鼠に食べさせるわ(これも特撮ではなく、本物の猫を飢えた鼠の群れに放り投げたそうです・・・動物愛護団体から何も言われなかったのだろうか??)、人道外れまくりの映画でした。
 
私は前述した事実を知らずに見て、その後『あのシーンのアレが実は本物だった』と聞いて凍りつきました・・・・・。もう二度と見る事はあるまい。つか、見た事を後悔した映画って、後にも先にもこれだけかもしれないってくらい、本当におぞましかった。 
 
 
 
 
何で見たのかって?大学の卒論のテーマを『731部隊』にしてたから、参考までにと思ってみたのですよ・・・。 
 
 
 
 
さて、本題。 
 
 
 
 
 
事の発端は、1985年の8月8日、海水浴に来ていた客が、砂浜で8つのバラバラになった人間の体の一部(手や膝下だけの足等)を発見し、警察に通報した事であった。その内4つは右の掌であり、被害者は少なくとも4人であると確認された。 
 
当初は鮫に襲われたとの見方もあったが、傷口が綺麗に整っていることから(鮫などに襲われた場合、歯型などがつき、傷口は比較的損傷している)、殺人事件に巻き込まれた可能性が高いとの判断を下した。また、その後更に3つの部位が見つかった。
 
しかしいずれも腐乱がひどく、警察も身元を特定できずにいた。 
 
 
 
 
それから8ヵ月後の1986年4月、警察署にとある人物からの手紙が届く。これが後にこの事件が明るみになるキッカケとなった。それは『私の兄はマカオで長いこと商売をしていたが、去年の8月以頃、兄とその家族(計10名)が失踪してしまった。しかも兄の店や不動産は、近くに住む黄という男に乗っ取られてしまっている。もしやと思うが8月に見つかったというバラバラ殺人と何か関連があるのではないかと心配している、どうか調べて欲しい』 
 
差出人は行方不明になっている八仙飯店の店主の鄭林(50歳)の弟であった。 
 
 
 
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事件の舞台となった八仙飯店。小さな食堂といった感じの佇まいである。 
 
 
ちなみに飯店は現在中国語で『ホテル』の意味であるであるが、ここは食堂だったようだ。西洋文化が入ってきて、詳しい話は忘れたが、後に『飯店』はホテルの意味になったとか何とか。
 
 
 
 
話を戻す。
 
 
 
弟は更に『1985年の7月に、兄は2人の幼い娘を連れて故郷に遊びに帰ってきました。それ以来ずっと音信不通なんです』と続けた。 
 
 
 
当初警察は、同じく行方不明になっている鄭林の妻である岑惠儀(42歳)と、店を乗っ取っているという黄が不倫関係にあり、二人で共謀し家族を殺害、店や不動産の権利を2人で乗っ取ったという見方をしていたが、その妻も依然として行方が知れなかった。 
 
 
 
そこで警察は押収された掌から再度指紋を採取してみることにした。するとその内のひとつの指紋が行方不明となっている10名の内の、妻の叔母にあたる陳麗珍の指紋と非常に酷似していたのである。 
 
 
 
また、八仙飯店に肉を卸していた業者からも興味深い証言が取れた。 
 
 
 
 
『8月4日の午後に、オーナーの鄭林さんから注文を頂いて、肉を卸しに行きました。その時店内にいつもと変わった様子はありませんでした。でも次の日に同じく注文頂いていた肉を届けにいくと、シャッターが閉まっていて店の前には”3日間休業します”という張り紙が貼ってありました。注文を受けたのにおかしいなと思い、家の方に行ってみたのですが、そこには全然知らない男性がいて、“ああ、彼らは今、珠海(地名)に遊びに行っている”と言われたんです』
 
 
 
警察はこの男が何らかの事情を知っていると見て、調査。彼の名前は黃志恆。八仙飯店の近くに住む男であり、この店主とよく賭けマージャン等もしており、交流があったという。 
 
 
 
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その後警察の調べで、黄の名前が偽名であることが判明する。本名は陳梓梁という名前であった。彼は広東省出身で、過去に犯罪歴があり(放火及び殺人)、それを隠す為か自分の指紋は全て焼き消していたというから驚く。その後、黄という苗字の女性と結婚し、名前を変えていた。 
 
 
 
犯行については頑なに否認し、『店や不動産は賭けマージャンの代償として私が譲り受けたものだ』『一家は大陸に移住した』等と供述したが、そのような形跡はどこにもなく、警察はこの男が事件に関わっていると確信、取調べを続けた。また黄の自宅金庫から、オーナーの鄭林の預金通帳、娘の出生届4通、学生証の写し等いくつかの書類が見つかり、黄の犯行はほぼ間違いないと断定された。
 
 
 
 
容疑を否定していた黄であったが、その後少しずつ自白を始める。
 
 
 
 
やはり事件の原因となったのは、金の返済をめぐってだったという。賭けマージャン、賭けトランプ等で度々交流のあった被害者と黄だが(妻やコックらも時々参加していたようだ)、被害者は金を返さなかったり、少しだけ返し、それに黄が文句を言うと、『借用書もないだろうが!』食って掛かるという事もあったようである。 
 
殺害した日も、黄は八仙飯店で賭け事をしていたが、またも負けた金を鄭林が払わなかった事で口論となり、怒り狂った黄は、その場にあったビール瓶を叩きつけ、それを鄭林の息子の首筋に突きつけた。それで『お互いを縛れ!!』と怒鳴った。彼らは言うとおりにしていたが、途中鄭林の妻が子供を抱いて泣き叫び、外に出ようとしたため、割れたビール瓶で頭を殴り殺害してしまう。 
 
そうなるともう歯止めが利かなくなり、その場にいた9人を次々に殺害していった。店内は血の海と化した・・・・。 
 
その時、鄭林の息子が『叔母さんが警察に通報してくれるから、オマエは絶対つかまる!』と叫んだ。一家を殺した後、『子供が熱を出した』と自宅にいた叔母に電話し、店に呼び出してから、この叔母も殺害したという。
 
 
 
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当時の新聞 
 
犠牲者。右上からオーナーの鄭林、その妻、5人の子供達(18歳、12歳、10歳、9歳、7歳)、叔母(60歳)、妻の母(70歳)、働いていたコック(61歳) 
 
 
彼らの死体を解体し、黒いビニール袋に詰め、遺棄した・・・・。 
 
 
 
 
映画の肉饅頭にしたというのは、監督の創作であり、実際に黄の口からそのような証言は無かったようだ。ただ、今でも遺体が全て見つかっているわけではないため、犯行が行われた後も店が通常通りに営業していた為、そのような脚色がされたのではないだろうか。しかし同じ時期に収容されていた囚人の中には『スープにしたと聞いた』と証言したものもおり、世間はこのうわさに大いに沸いた。だが・・・真相は闇に葬られてしまった。黄が獄中で自殺してしまったからだ。 
 
 
 
 
監獄内で炭酸飲料のプルトップで手首を切り、自殺した。その前にも一度自殺未遂を起こしていた。1度目はすぐに発見され助かったが、2度目は助からなかった。そばには遺書、喘息薬、ポルノ雑誌が置かれていたという・・・。 
 
 
また収監されてからの黄は、幻覚を見て大声をあげたり、大便小便を漏らしたり、独り言を延々とつぶやいていたり、精神を徐々に蝕まれていたようだ。 
 
 
 
 
ちなみに彼の遺書の中には『自分は無実だ、警察に脅されて認めさせられただけである』『妻と子の心配』等が綴られていたという。
 
 
 
 
しかし1点だけ疑問が残る。叔母が店に呼び出された時、隣人の証言によるとタクシーには30歳くらいの男性が一緒に乗っていたという。これが黄の共犯だったのか、それとも叔母とともに犠牲者の一人となった誰かなのか、今となっては分からないのである・・・。。 
 
 
 
 
※記事は台湾及び中国、香港のサイトを見て訳しております。翻訳に間違い等あれば、ご指摘くださいませ。
 

八仙飯店一家殺人事件(Coming Soon)

えー、実は最近「また殺人関連の記事書かないんですか?」というお問い合わせを頂いた。 

 
 
 
 
そーいや、また長いこと書いてないな・・・・・。苦笑 
 
 
 
 
あれ?最後書いたのいつだっけ??と思ってみてみると、台北無差別地下鉄殺傷事件があった1年前の5月が最後か。その前はHelloKitty殺人事件を書いた1年前。 
 
 
 
 
・・・・・ほぼ1年に1回のペースやね・・・・・苦笑 
 
 
 
 
なんでか?とにかくこれ系の記事を書くのはとにかく大変だから。その一言につきます。 
 
 
 
 
 
まずいくつかのHPや当時の新聞なんかで調べつつ、当然日本語ではないので、それを翻訳する必要があります。毎週「法眼」やら「破案一線間」やら見ている私にとっては、殺人事件関連によく出てくるような単語はまぁ比較的知っている方だとはいえ、それを訳すのってまぁ簡単ではないし、とにかく疲れます。 
 
 
 
 
それでもこうして1年に1度でも書くのは、書いてくださいと仰ってくれる方がいるから。それになんかランキング見てると、殺人系の記事あんまり書いてない割には、結構アクセス数が多いのはなんでなんだろう・・・・汗 日本じゃあんまり取り扱ってない事件だからかしら。 
 
 
 
 
 
台湾の事件でほかに有名といえば、井口真理子殺人事件、もしくは江子翠のバラバラ殺人事件辺りかなぁ。。。。もしくは映画にもなった牯嶺街殺人事件辺りかなぁ・・・・とも思うのですが、調べていたら香港辺りの事件も結構凄惨だったり、映画のテーマになったりしている事件が多いのですよね、Hello Kitty殺人事件も然り。なんで次回はこの映画のテーマになった「八仙飯店一家惨殺事件」を取りあげてみようと思います。 
 
 
 
 
 
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このパッケージって、結構ビデオ屋さんとかDVD屋さんで目にしたことのある人、多いんじゃないかしら?私は確か小学校の高学年だか中学生の頃にビデオ屋さんで見て、うげっ!と衝撃を受けた記憶があります。 
 
 
 
これは実話を元にした映画です。ただ映画も最近記事を書くにあたってみてみたのですが、子供時代に見ていたらトラウマになったであろう感がひしひし。 
 
今はなんていうか、この主人公を演じたアンソニー・ウォンの別の映画を何本も見ているのと(日本人に有名な映画でいえば、頭文字Dの実写版での拓実のお父さん役とか、インファナル・アフェアとかにも出てましたね)、死体の手の作りとかがちゃちぃので、フツーに見れました。スプラッター系は好きじゃないから、決して気持ちの良い物じゃなかったけどね。苦笑 
 
 
 
ちなみに正確にいうと、舞台は香港ではなく、マカオです。この映画は一家を殺してその肉を饅頭にするという風になっていますが、実際の事件はどうだったのか、犯人は映画と同じような最後を遂げるのか?等等、まだ全然史実の方を調べきってないのでどこまで事実なのかは分かりませんが、しばしお待ちを~。 
 
 
 
 
しかし一家全員を惨殺した(幼子を含む)というのは、どうも間違いはなさそうだ・・・。書く前から結構気が重くなる事件である事は間違いない・・・・。 
 
 
 
 
香港で起こった十大奇案と言われている10つの特殊な殺人事件があるのだが、八仙飯店を書けばこのうちの2つを書いた事になる(もう一つはHelloKitty殺人事件)。さて、全部書ける日は果たしてやってくるのかしら。 
 
 
 
 
YOUTUBEで調べていたら、これらについてのラジオがどうもあるようだか、私は残念ながら広東語が分からないので、断念。字幕で中国語でもついていたら何とかなったかもしれないんだけどな。悔しいわ。 
 
 
 
 
 
全然関係ないけど、香港では食堂?を「飯店」っていうんだろうか。台湾では飯店というと「ホテル」の意味なのです。

台北地下鉄無差別殺傷事件

一昨日、彼は夜勤で私が家に帰ってくると、 

 
 
 
 
「大丈夫か?!もう家に着いたか?!」 
 
 
 
とLINEが。「??着いたよ、どうしたの?」と聞くと、地下鉄(MRT)で無差別殺人があって、死者と怪我人が出ており、大騒ぎになっていることを聞いてびっくり!!そこは私がいつも使う線では無いから、乗ることはないだろうと思っていたものの、万が一と考えて急いで連絡をくれたらしい。 
 
 
 
 
うちはテレビをひいてないので、ネットで見ると本当にすごい事になっていて・・・。急いで友達たちに連絡して、誰も巻き込まれて無いかすぐに確認。幸いにも私の周りには巻き込まれた人はいなかったけど・・・4人もの死者を出す事になり、台湾史に間違いなく残る黒い影となってしまった・・・・。
 
 
 
 
 
ちなみに事件のあった場所は、新北市の龍山寺駅と江子翠駅の地下鉄の中です。 
 
 
 
 
 
 
Map   
 
私が出勤で使うのは黄色の線だから、青の線に乗るのはほとんど忠孝復興にあるSOGOに行くときくらい。タピさんの小物やご飯を買いに行く鳥街は龍山寺にあるけど、彼とバイクで行くのでMRTには乗らないし。  
 
 
 
だけど数年前まで、この線に乗って毎週日本語を教えに出かけていました。塾の場所は江子翠の先の府中という所。だからとても遠い出来事になんて思えないし、何より自分が住む台北で、毎日のように利用している地下鉄でこのような事が起こった事がショックでなりませんでした。しかも台北では今までこのような無差別殺人事件なんて起こった事が無かっただけに、台湾の人のショックもかなり大きかったようです。 
 
 
 
 
犯行経由から説明していきます。 
 
 
 
5月21日、犯人である大学生、鄭捷(21歳)は3時半頃、江子翠近くの日系スーパーで果物ナイフを購入、この時すでにかばんの中には2ヶ月前に学校の近くで買った折りたたみナイフも入っていました。それから南港地区方面行きMRTに乗り、国父記念堂駅までMRTに乗って移動し、また戻る形で永寧方面のMRTに乗り込みました。
 
そして4時20分頃、龍山寺を出発したMRTの中で惨劇は起きました・・・。 
手には2つのナイフを持ち、寝ている人、目が合った人、とにかく関係なく目に付く人を次々に刺して行ったのです。寝ている最中に刺された人も多かったようです。 
 
 
 
 
 
 
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凶器のナイフ。当初はバタフライナイフと報道されていましたが、違っていたようです。
 
 
車内は大パニックに陥り、悲鳴、血しぶきが飛び交っていました・・・。    
 
車内には怪我をした人、血だらけで動かない人、泣き叫び逃げ惑う人・・・ここにあえて写真は載せませんが新聞やニュースには映像や写真もあり、まるで地獄絵図のようでした・・・。 
 
 
 
 
 
 
しかしこんな中でも先頭にたって犯人に「近寄るな!あっちへ行け!」と自身も右腕に怪我を負いながらも先頭に立って犯人と傘を手に持ち、対峙するおじさんがニュースで取り上げられていました。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
    
 
 
 
また江子翠駅で彼を取り押さえたおじさんが勇敢だ!といろんな新聞でも取り立てられましたが、「私一人じゃ何もできなかったよ。みんなが回りにいてくれたから出来たことだったんだ」ととても謙虚だったらしい。何と昨日、会社の下にすごい報道陣が集まってるなぁと思っていたら、このおじさんが隣のレストランに息子さんとご飯を食べにくるという事で、インタビューの為に集まっていたらしい。 
 
話はそれましたが、電車は4時25分に江子翠に着きました。その時電車の中から降りた一人が大声で「みんな逃げて!!車内に殺人犯がいるわ!!!」その声に反応し、江子翠で電車を待っていた客はパニックになり、逃げ出しました。犯人は電車を折り、改札口付近まで来た時、そこで民衆と警備員に取り押さえられました。 
 
   
 
 
取り押さえられた時の様子。手前の赤いTシャツが犯人の男。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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犯人の鄭捷。彼の供述はこうです。 
 
 
 
 
「毎日ストレスもすごかったし、生きるのが苦痛だった。自殺しようとも思ったけど、それも出来なかった。だったら一人でも多く殺せば死刑にしてくれると思ったのさ。 
幼い頃から人を殺したいという思いはずっと持っていた。今はそれが叶って、とってもすっきりした気分だ。」  
彼の口から被害者や遺族に対する謝罪の言葉は全くないそうで、後悔の様子も全く見られないとのこと。 
 
友達もほとんどおらず、彼女もおらず、唯一の趣味は部屋に篭って人を殺すゲームをすることだったという彼。それでも彼を知る人は「おとなしいやつだったけど、怒った所なんて見た事のないような奴だったのに・・・」と驚きを隠せないようです。でもそんな反面、鳥や亀を殺して教室の中に放置していた、等という話もあったりします・・・。 
昨日かな、加害者の両親が謝罪文を出しましたが・・・両親もどんなにツライだろう・・・。彼に聞いてみると、出た高校も大学もどちらもそこそこ良い大学だったらしい。
 
 
ただ、大学は一度今の大学の前にいた国防大学で成績が足らず退学処分となった過去があり、それも何かしら影響しているのか?とも言われています。 
 
 
 
 
 
こんな話も載っていました。パトカーに載せられた犯人に警察官の一人が「両親に謝罪したいか?」と聞くと「謝罪?何を謝罪する事があるんだ?」と返され、言葉も出なかったと。  
現在までの様子については、ご飯もしっかり食べ、睡眠もよくとっているらしい・・・。 
 
そんな中、「手錠をはめられている部分が痛い」と訴えた鄭に対し、警察官が「それならお前に刺された人たちは、どのくらい痛かっただろうな?」と聞き返すと、黙りこくってしまったとか。 
 
 
 
 
 
これから精神鑑定やら色々行われるそうですが、まず死刑は免れないでしょうね・・・。今後も何か動きがあれば、ここで色々書きたいと思います。 
 
 
さて、亡くなった4人の方についても、少しずつ情報が入ってきました。犠牲になったのは女性2人、男性2人です。 
 
 
女性2人のうち1人の情報はほとんど出回ってないようですが、もう一人の藩さんという47歳の女性でした。写真もありましたが、掲載は控えます。  
翌日誕生日を迎える予定だったとのこと・・・。二人の成人した息子と4人で仲むつまじく暮らしており、旅行に出かけるのが好きだったとか・・・。 
 
 
藩さんのだんなさんは泣きながらインタビューに答えました。「明日は妻の誕生日で、自分たちはもう結婚して30年も一緒だったんだ。明日は彼女を連れて一緒にどこかへ出かけようと思っていた。でも・・・その約束も果たせなくなってしまった・・・。どうして妻がこんな目にあわなくてはいけないんだ・・・」 
 
 
 
 
 
男性2人のうち、一人は26歳の張さん、もう一人は28歳の解さん。 
 
 
 
 
張さんの方はこの日、仕事の面接の帰りでした。スーツを着た血まみれの男性が倒れて動かない写真が新聞にありましたが、おそらくこれはこの張さんだと思います。片手をポケットに突っ込んで・・・おそらく自分でも何がなんだか分からないまま、その命を奪われたのだと思います・・・。「絶対良い企業に入って真面目に頑張るんだ!両親や学校にとって誇れるような仕事をしていきたい」そう話していたと言います。 
「お前みたいな良い奴がなんでこんなめにあうんだ。信じたくない。本当であってほしくない・・・。安らかに眠ってくれ、善良で正直で・・・お前の事は絶対に忘れない。」FBに彼の友達が残した言葉です。
 
 
昨日張さんの遺体は故郷である嘉義に無言の帰宅をしました。母親は泣き崩れて遺体にすがりながら「辛いわ・・・心が辛くて辛くて・・・どうしたらいいの・・・」と一人で立っていられない状態なほどショックを受けており、周りから「分かってるよ・・・分かってるよ・・・・」と必死に慰められている姿に見ていて、本当に心が痛かったです・・・。 
 
 
もし面接の日があの日じゃなかったら・・・あの時間の電車に乗らなかったら・・・・。 
 
 
 
もう一人の解さんは28歳、すでに結婚しており、彼は3歳の男の子と2歳の女の子の幼い子供を持つ父親でした・・・。霊安室で冷たい旦那さんの遺体と対面「夫を返して!!!」と泣き叫んでいたという記事を見て、涙が止まらず・・・。
彼はいつも仕事のため、この時間この電車に乗っていたのだそうです。 
 
 
 
彼の母親曰く「40歳でやっと授かった唯一の男の子だったの・・・。幼い頃から手のかからない、とても自立した子だったわ・・・。結婚した後も彼の家の家計は楽ではなかったようだけど、一切私たちに頼るような事もなかった。たった一人の何の罪もない息子がどうしてこんな目にあわなければいけないの?」 
ちなみに犯人が移送される際、この解さんの友達が殴りかかりそうになる一面も。「畜生!このクズ野郎!!」すんでの所で押さえつけられてましたが、本当気がすむまで殴らせてやりたいと思う・・・。 
 
近所の人も「会うといつも笑顔で挨拶してくれる、本当に感じの良い人だったわ・・・そんな人がどうしてこんな事に。。。」
 
 
 
実はここ最近、台北はずっと雨だったんです。だからこの日、傘を持っていた人も多く、それで応戦した人もいたようです。でももしこの日が雨じゃなかったら・・・身を守るものなんてそうないし、もっと多く犠牲者が出ていたのかもしれないと思うと、雨でよかったのかもしれない・・・。 
 
 
 
 
ちなみにどうして龍山寺から江子翠の間で犯行を行ったかという理由については、「そこの距離が一番長いから」という事だったそう。予め色々前もって計画していたのですね・・・。 
ちなみに一度刺して倒れている人をもう一度刺すなど、かなり殺意を持って行動していた事が伺えます。  
 
この事件の影響を受けて、翌日は地下鉄に警察官が乗り込んでいたみたいです。(私の電車では見かけなかったけど。車両がちがったのかな。) 
 
台湾は治安の良い国だし、こんな事が起こるなんて本当にショックです。 
交通事故死やら、失恋自殺、失恋殺人がとにかく多いので、そういう事件には言い方が悪いけど慣れてしまいましたが、まさかこんな事件が台湾で。 
 
 
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翌日の新聞、もちろんトップニュースです。これはりんご日報ですが、その他の新聞も
全てトップ記事でした。
 
 
 
 
 
今日も普通に地下鉄に乗りましたが、身を守る物を持つようにした、という話を周りでよく聞きました。私自身、剣道の心得はあるので、傘が何かあればもしかしたら何とかなりそうだけど、身を守るって・・・何を持ってたらいいんだ?トウガラシスプレーとか?スタンガン? 
でも、いざという時の為に、本当に何か持っておくべきなのかもな・・・と改めて思いました。 
 
 
 
 
 
亡くなられた方のご冥福を心からお祈りします・・・。きれいごとなのかもしれない、でも犯人も今はまだ全く自覚はないようだけど、彼の中にも良心がある事も信じたい・・・。でないと亡くなった方が浮かばれないし、突然不条理に家族を奪われた遺族が可哀相すぎる。。。 
 
 
 
 
☆☆5・31追加☆☆ 
新☆海外ブラックロードでもその後の展開等を少し加筆して、書かせていただきましたので、良かったらのぞいてみてくださいね☆ 
 
 

Hello Kitty殺人事件(中国語:Hello Kitty藏屍案)

最近とある方から、この頃殺人事件関連の記事がないですねというご指摘を(また)いただいた。 

 

 

そういや・・・最後に書いたのはいつだったっけ?・・・・・・・まぁ、かなり前だという事は確かだよな(苦笑) 

 

 

りんご日報は毎日見てるし、殺人事件なんてそりゃ台湾でも頻繁に起こってます。恋愛感情のもつれやら(これ結構多い)、親殺し子殺しやら・・・でも私の中では自分が衝撃を受けた事件だけを紹介したいという気持ちもあり。またこういう事件系の記事は書いていて実はすごく労力を使うのですよ。特に台湾や中華圏で起こった事件なら、まずは翻訳から入らないといけないし。 

 

 

とかつらつら考えていたら、狙い済ましたかのように、最近とある衝撃的な事件を知ることになりました・・・。 

 

 

 

最初に忠告しておきます。今回の記事はかなりショッキングな内容を含んでいます。そういう系が駄目な方はここでお止めになった方が宜しいと思います。事件系の本を読み漁っている私でも今回の事件はかなりショックでしたので。あしからず

 

 

 

りんご日報でとある事件記事を見ていて知ることになったこの事件。関連記事として表示されていたのが今回紹介する、この「HelloKitty殺人事件」。まずその題名を見たときは何かの冗談かと思いました。 

 

しかし、かわいらしい題名とは裏腹に、その事件の内容はとにかく恐ろしいものでした・・・。いや、使われた物がかわいらしいからこそ、逆に不気味さが際立っているのかもしれない・・・。白暁燕さん殺人事件も以前このブログで紹介し、あの事件を知った時の衝撃もすごかったですが、正直劣るとも勝らない内容かもしれません・・・。 

 

 

この凄惨な事件は1999年香港で起きました。  

 

 

香港に住む23歳の樊敏儀さん、彼女は祖母の医療費を稼ぐため(麻薬のトラブルとも言われているが、真相は定かではない)、ナイトクラブで働いていました。そこで今回の被告の一人、ポン引きの陳文樂(33歳)に借金をしていました。

 

陳は樊さんに借金の返済を強く求め、妊娠している彼女に無理やり客を取らせたりもしていたようです。その後借金を返せないことが分かると、仲間の梁勝祖(26歲)、梁偉倫(19歲)と3人で彼女を尖沙咀加連威老道 (Granville Road) のアパート31号の3階に監禁し、数週間に渡り、拷問、暴行を加え、死に至らしめたという事件です。 

 

窓やドアを木でふさぎ、周囲にその声が漏れないようにした中で、その拷問、暴行の内容は凄惨を極めました。足の肉を焼いたり、傷口に唐辛子を塗りこんだり、糞尿を食べさせたり、解けたプラスチックを太腿にたらすなど・・・。被害者が叫べば笑うように強要し、精神的にも体力的にもボロボロにし、最後は両手から電気を流すなどし、数週間後ついに樊さんを死に至らしめました・・・。また彼女に無理やり麻薬を摂取させたりもしていたようです。  

 

顔は腫れ上がり、歯は抜け、体中は血と膿にまみれていたといいます。 

 

 

 

 

ここまででも十分凄惨ですが、更に凄惨なのはここから・・・。 

 

 

 

彼らは死んだ樊さんの死体を浴槽に運び、鋸やパン切りナイフ等を使ってバラバラに解体しました。梁勝祖は後の取調べでその時の様子を語っているそうですが、元々陳に言われ、梁がバラバラにする役だったとのこと。しかし内臓の臭いがとにかくすさまじく、嘔吐し、梁がとても作業を続けられる状態ではなかったため、結局陳が死体をバラバラにし、内臓はビニール袋に詰めて、ごみ収集所に捨てたと自白しています。 

 

そして身元を隠そうとしたのか、彼女の頭部だけは部屋のストーブで煮込み、部屋にあったハローキティの人形の綿を取り出し、彼女の頭部をキティ人形の中に詰め込んだのでした…。 

 

 

 

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供述によると、陳が頭部を人形の中に詰めたそうですが、その際こんな風に頭部に話しかけながら作業を続けていたらしい。 

 

 

 

 

「よしよし、いい子だ。・・・動かないでね。今俺が着飾ってあげるからさぁ・・・」(※新聞記事の台詞では、『乖乖,不要動,我幫你打扮』になってるから、日本語訳すると多分こんな所だろう。)

 

 

 

 

 

・・・・およそ人間の所業じゃない・・・。 

 

 

その後3人は逃亡、頭部の入ったキティ人形を現場に残して・・・。 

 

 

 

その後そのビルの住人から悪臭がするとの訴えがありましたが、特に警察の捜査は入らず。 

 

 

事件の展開があったのはそれから1ヵ月後・・・ 

 

 

梁(19)のガールフレンドだった少女の阿芳(13歳)が幽霊に憑かれるという絶え間ない夢を見ていると女児院で話したことから1999年5月24日に警察に通報され、その後警察が例のビルに踏み込むことになり、事件が発覚したのでした。

警察が中に踏み込むと、部屋の中からは強烈な悪臭と無数の虫が飛び出してきました。その警察の目に映ったのは、廊下の奥に無造作に置かれた血のにじんだキティ人形でした。 警察が手に取ると、中には硬い感触がしたといいます。また部屋の中には頭部を煮た鍋もあり、血にまみれた人形の中の開いた時、警察はそこで何があったのかを悟ったのでした。 

 

その後頭部は法医学研究所に回されましたが、煮られていた為DNA鑑定が出来ない状態だったそうです。 

 

それでも証言と証拠を元に、警察はそれから3人の行方を追い、陳を自宅で、梁偉倫を中国の山東省で逮捕、もう一人の梁勝祖は自首という形で事件の犯人達は全員捕えられたのでした。  

 

 

犯人の3人 

60330 陳文樂

09la6p15 梁勝祖 

24la7p11a 梁偉倫 

 

※いずれもりんご日報香港版からお借りしました。

 

 

 

 

しかし裁判でもお互いに罪をなすりつけあい、2人の梁容疑者は全て陳の指示でやったことだと主張したのだとか。指示といってもやったんなら、お前らも立派に同罪だよ。 

 

 

2000年12月6日、6名による陪審団は証拠不十分により被告に殺人ではなく故殺の罪状が認められるとし、法官の阮雲道 (Peter Nguyen) は最も厳しい刑罰を下すことを決定し、3人に終身刑の判決を下しました。

阮雲道は減刑の申請には最少20年の服役が必要とし、「近年このような残忍、変質的、堕落、暴力、冷淡、凶暴残虐な事件を聞いたことはなく、このような手法で他人に危害を加えることは、禽獣でもありえない。」と事件を形容しました。 

 

 

判決後、直ちに三被告は上告しましたが二被告については棄却され、陳についてのみ認められたとのこと。この被告については被害者が死亡する一日前から現場に居合わせなかったことから故殺については誤りであるとされ、2004年3月上告法廷の法官高嘉楽により禁錮18年と減刑されたそうですが、ちょっと納得いかないよ、この判決・・・。監禁と死体遺棄については上告されていないため、罪名はそのまま残っているそうですが。

 

被害者の頭蓋骨は事件中で唯一の物的証拠で、上訴審が終わった後、2004年3月にようやく家族の元に戻され、3月26日に火葬されたそうです。 

ちなみに被害者には一人息子がおり、後にカナダへ移住したのだとか・・・。 

 

Wal060809c_21 事件のあったビル 

 

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ちなみにここに住んでいる女性いわく、「以前一緒に住んでいたルームメイトが時々女性の悲鳴のような声が聞こえる事がある」と話していたそう。また階下の美容室でも消したテレビに人影が映ったり、奇妙な事があるそうで、お化け屋敷として地元では有名のようです。ちなみに殺人事件のあった部屋は現在もまだ修繕されておらず、現在も誰も住んでいないようです。ていうか・・・絶対事情知ったら誰も住めないよね・・・・。

 

 

 

この事件は映画やドラマ化もされています。 

 

 

 

 

 

しかしこんな残虐なやり方で人を殺しておいて、なんて軽い判決なんだろう・・・。日本でも納得できない判決は多いけど、これもとても納得のいく判決とは思えない・・・。しかも裁判中も犯人たちには全く反省や後悔の色が見られなかったようで、事件を悔いているという記述はどこにも見当たらないのです・・・。 

 

 

こういうのが出てきて、また再犯しないという保証がどこにあるのだろう?反省の色もない、血の通っていない悪魔に機会を与える必要なんてあるのだろうか? 

 

 

自分で紹介しておいてなんだけど、本当に後味の悪い事件だ。 

 

 

そう考えると、台湾ではもちろん「ええ?!」という判決もあるけど、日本に比べれば殺人事件でははるかに納得の行く判決が多いと思う。殺人事件の案件を見ていると、結構な確率で無期か死刑になっている気がするもんなー。  

 

 

ちなみに今回紹介した事件、彼も知っていました。当時台湾でもかなり大々的に紹介されたんだそうで、知っている人も多いそうです。

 

 

 

以上久しぶりの殺人関連の紹介記事でございました・・・。

カエル少年失踪事件

本日ぼんやりネットを見ていて、とあるきっかけから韓国で実際に起きた本当に不可解な事件を見つけることになった。





一般的には「カエル少年失踪事件」という名前のこの事件。「なんだその名前?苦笑」という感じがするが、内容はとにかく謎謎謎!!!謎だらけ!!ゾッとするような謎だらけ。 

 

 

 

以下はウィキペディアからの引用です。 

 

 

城西小学生失踪事件(ソンソしょうがくせいしっそうじけん)は、1991年3月26日大韓民国大邱広域市達西区に住んでいた5人の小学生が失踪した事件である。「カエル少年事件」とも呼ばれる(理由は後述)。

事件直後から警察を動員して捜索活動が行われたが、2002年に白骨死体として発見されるまで、全く捜査の糸口が掴めなかった事件であった。「カエルを捕まえに行く」という最後の言葉が脚光を浴びたことから、失踪小学生は通称「カエル少年(개구리 소년」と呼ばれている。

1991年3月26日、大邱の城西国民学校(小学校)に通っていた5人は、「(近くの)臥竜山にカエルを捕まえに行く」と家を出たきり戻って来なかったため、親たちは失踪届を出した。

必死の捜索活動にも関わらず、失踪小学生の行方は杳として知れなかった。韓国国民の関心も高く、1992年11月には『帰ってこいカエル少年돌아오라 개구리 소년)』という映画まで製作された。次いで、2011年には『カエル少年失踪殺人事件아이들)』という映画が製作された。

事件発生から11年が経過した2002年9月に、失踪小学生のものと思われる5体の白骨死体が臥竜山で発見された。検死の結果、道に迷っての遭難や転落などの事故ではなく、何者かによる他殺であることが判明した。

しかし、犯人が誰であるかは不明のまま、2006年3月25日時効が成立した。 

 

 

韓国では誰もが知っている有名な事件らしい。ということで韓国のサイトを調べてみたら、これがたくさん!日本や台湾のネットじゃ見られなかった写真、映像なんかもたくさんあって、いかに韓国でも注目されていたかがよく分かる。 

 

http://bbs2.agora.media.daum.net/gaia/do/kin/read?bbsId=K150&articleId=393746

http://cafe.daum.net/dndrleks/kOZT/652?docid=1NTBA|kOZT|652|20120501061040&srchid=IIMS39PO500#A28_2.jpg

 

(どちらのサイトも韓国語だけど、当時の写真などもたくさん載っています) 

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少年たちの行方を呼びかける当時のポスター

 

 

 

そしてこれを題材にした映画があると知り、ネットで色々調べてみると「青蛙少年失踪事件」という名前で中国語字幕の映画を見つけ、彼と見てみました。 

 

 

感想は。。。とにかく長く感じた!!なんていうか、殺人の追憶と同じような感じ。殺人の追憶は日本語だったからまだ良かったけど、今回は中国語字幕だったため、大変でした。こういう映画は登場人物の言うことにキーポイントがあったりするから、特に集中してみるため、余計に体力を使う。つっても「?」って部分もたくさんあったけど。中国語能力がもっと高ければ、もっと楽しめたかしら(苦笑)あとはやっぱり。。。ハッピーエンドというわけにはいかず、終わった後はぐったり疲れる感じ。 


このお話の主人公はテレビ局に勤める一人の男性。この人がこの事件を追っていく。 

 

 

ちなみにこの映画、中国語では「青蛙少年失踪事件」と「孩子們(子供たち)」という2種類の題名があるみたいです。 

 

 

 

一人、二人の失踪、殺害なら今までにも何度もあったけど、5人いっぺんに殺害なんて普通じゃないし、普通に考えたら不可能だと思うんですよね。犯人が一人だった場合は。それに色々調べてみると、 

 

 

少年たちはテコンドーを習っていた。(簡単に連れ去られるとは思えない) 

 

死体から弾丸が発見された。(一般人が拳銃を持つこともそんなに簡単な事ではない)

 

 

なんていうものもあり、ますます謎。映画の中には拷問されたような形跡があったとあったけど、それが実際の子供たちの遺体にあったのかは分かりません。  

 

ただ、鑑識の結果、「他殺」という事はまず間違いないそうだし、本当に誰がどんな目的でこんな幼い子供たちを5人も一緒に手にかけなければいけなかったのか?本当に謎です。 

 

 

でも調べていくうちに、ひとつのとても興味深いサイトを見つけ、思わず鳥肌が立ちました。このサイトの内容が本当なら。。。。でも、内容はあまりにも道理が通っていて、これなら30万人の捜査員を投入しても証拠が何一つ出なかったことも、どうして銃で殺されたのかも納得がいくのです・・・・・。  

 

 

 

 

とはいえ、犯人が捕まらないまま、時効を迎えてしまったこの事件。もし今犯人が捕まったとしても、罪に問われないという。時効って。。。なんだろう。  

 

 

 

久々にゾッとするような、謎の残る事件を知ることになりました。

 

 

 

 

 

 

最近読み始めた本(楊日松関連)

最近自分のブログを見ていて思うこと・・・・ 

 

 

 

「白暁燕の記事へのアクセス数が飛びぬけてすごい。」ってこと。かなりの方が関心を持ってるんでしょうか。正直書いたときは「知ってる人なんてそんないないだろうな」と思っていたんですが、日本でも案外関心を持っている人が多いのかと驚いています。 

 

 

 

さて、最近私はとある本を台湾のオークションで落札し、読んでおります。今のところ落札しているのは3冊。すべて楊日松医師に関するものです。 

 

 

さすがに日本人で楊日松を知っている人はほとんどいないと思うのですが、台湾人ならおそらく誰でも知っている有名人。 

 

 

 

 

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この人は法医学の仙人とも言われている人で、台湾で起こった有名な殺人事件はほとんどこの楊日松医師が担当しているといっても過言ではないほど、多くの事件を手がけています。50年間で検死した死体の数は2万とも言われています。 

 

 

つまりは法医さんです。 

 

 

 

そしてこのブログでも紹介した、白暁燕の事件もこの楊日松医師が解剖に当たっています。 

 

 

 

 

一番最初に来て、最近読み始めたのは「終結殺機」という本です。楊日松医師の仕事の様子、彼が手がけた事件について書かれている本です。「台湾大捜索」やら「法眼」やら見ているせいか、ある程度の内容は理解できていると思います(たぶんね)。 

 

 

あと2冊落札した本は、まだ手元に届いていませんが、白暁燕についてもどうやら記載があるようなので、自分が知っていること以外どんなことが書かれているのか、怖くもあり、反面期待もしています。 

 

 

しかしオール中国語なので、読むのに時間がかかるったら!がんばって読破したいと思います。 

台湾最大ともいえる誘拐殺人事件(白暁燕誘拐殺人事件)

先日上司と話していて・・・ 

 

 

 

(上)「そういや、梶原一騎って知ってる?」 

 

(私)「誰です、それ?」 

 

(上)「えー知らない?明日のジョーとか侍ジャイアンツとか、まぁ言ってみればスポーツ漫画の原作者だよ。それじゃあその娘さんの事件も聞いたことない?」 

 

 

 

話はこんな何気ない一言から始まった。 

 

 

 

(私)「知らないですよー、なんですか、それ?(毎日りんごチェック&犯罪オタクとしてはちょっと聞き捨てなりません)どんな事件なんですか?」 

 

(上)「台湾にいるなら、これは知っておいた方がいいだろうな。帰って色々調べてみるといいよ。かなり凄惨な事件だけど・・・でも台湾人ならみんな知ってるし、知っておく必要があると思う。日本も全く関係ないってわけじゃないし。」 

 

 

 

上司が話してくれた事は、白冰冰という台湾の国民なら誰もが知ってる女優と、先述した梶原一騎の間には1人の娘さんがいたのだそうだ。彼女の名前は白暁燕。しかし彼女が小さい頃に両親は離婚し、白冰冰が娘を引き取り、母娘は台湾で暮らしていた。その娘さんの誘拐事件だという。 

 

 

白冰冰って誰?という感じだったが、帰ってネットで見て「あー見た事ある!」という女優さん。テレビにも結構出ている人だから、こっちに住んでいる日本人なら知ってる人は結構多いと思われる。

 

 

さっそく帰ってから、上司の言っていた事件の内容を調べてみた。 

 

 

 

・・・・そして衝撃を受けた。 

 

 

誘拐殺人事件、日本でもこれまで何度も何件も起きている。だけど、私はここまで被害者を凄惨な方法で死に至らしめた事件を他に知らない・・・・・・。 

 

 

内容がかなり凄惨なので・・・そっち系がダメな人は読まない方が良いと思います。。事件等にある程度免疫のある流石の私も、これには本気でショックでした。 

 

 

 

下記はウィキペディアより引用です。 

 

 

1997年4月14日、私立醒吾高級中学2年に在学中の暁燕は、通学途中に誘拐された。犯人グループは、直後から輪姦・暴行を加えるとともに、左手小指を切断した。さらに、母冰冰の元に暁燕の半裸の写真と、彼女の切断された小指を送りつけ、500万アメリカ合衆国ドルの身代金を要求した。冰冰はなんとか身代金全額は揃えたが、行政院長連戦の差し金で警察からマスコミに情報が漏れ、中華日報と大成報が報道したため、引き渡し現場に記者が殺到する事態となり、犯人グループは身代金受け取りを断念する。現金が渡れば家に帰れると信じていた暁燕は、戻ってきたグループの一味から身代金受け渡しの失敗を聞いて泣き叫んだが、激昂した犯人グループは、腹いせにさらに凄惨な輪姦・集団暴行を加えて暁燕を惨殺し、遺体の手足を角材で縛ったうえ、重しをつけて台北近郊のドブ川に遺棄した。

4月25日に犯人グループのアジトを急襲し4人が逮捕されたが、3人の主犯格(林春生・高天民・陳進興)を捕り逃がしてしまった。

4月28日、暁燕の原形を止めぬほどにボロボロになった無残な全裸の遺体が発見された。発見者は、最初はブタの死骸と思ったという。直接の死因は窒息だったが、暴行による打撲で肝臓が破裂しており、その内出血で腹腔は大きく膨張し、肋骨もほとんど折れており、両手両足の爪も全て剥がされていた。顔も髪の毛はまばらにされ、両目はえぐり取られ、舌は引き伸ばされ、両耳の鼓膜は爆竹で破られ、前歯は上下三本しか残っていなかった。報告書に「処女膜断裂」とあるように激しい強姦の痕跡も歴然としており、あまつさえ肛門に鉄パイプが2本突き刺され、子宮内には釘が48本も打たれていた。長年にわたり多くの死体を検分した検視係官が「これほど凄惨な遺体を目にしたことはない」と衝撃をうけるほどだった。さらに、遺体発見時の写真を一部のメディアが掲載したため、マスコミへの批判が高まり、白母娘の住んでいた家の付近に、周辺の住民が「記者有罪」と書いた抗議の垂れ幕を下げた。

暁燕の葬儀では、顔にかつらと生前の顔を模した面を着けて納棺された。  

 

 

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被害者の白暁燕。女優としても時々テレビに出ていたんだとか。

 

 

 

ちなみにこの事件の主犯は以下の3人 

 

 

 

 

高天民、林春生、陳進興 

 

 

 

 

 

 

ちなみに高天民はこの年の8月、警察との銃撃戦の末、2人の警官を殺傷し、自殺。この殉職した警官には妊娠した許嫁がいたのだそうです・・・。(つい先日、何の因果かテレビで特集が組まれてて驚きました) 

 

5 高天民 

 

 

10月、残る林と陳は台北市内の方保芳病院で、無理やり顔の整形手術をさせ、医師夫妻と女性看護師を、それぞれピストルで頭を打ち抜いて殺害し(看護師は殺害される前に強姦されていた)逃亡。(犯人とバレた為、口封じだったと思われる) 

 

 

4 事件のあった病院 

 

 

11月17日、林は再度警察と銃撃戦を繰り広げ、自殺。 

 

11月18日、残った陳は人質を取り、立て篭もるが、翌日投降し逮捕された。(1998年銃殺刑にて死刑執行) 

 

 

 

以上が事件の概要です。こいつらマジでやりたい放題・・・・・・・ 

 

 

しかしこれ、なぜ彼女がこんなひどい殺され方をしなきゃならなかったのか。。もちろんメディアの過剰報道のせい、というのが通説らしい。 

 

先輩から新聞には載ってないいろんな話を聞く事が出来た。 

 

 

「犯人グループは事件を警察やメディアに知らせるなって言ってたの。でもメディアがかぎつけて大きく報道してしまったのよ。だから犯人側が激昂したの。お金の受け渡しに失敗してお金も手に入れられなかったわけだから。その「よくも通報しやがったな!!」という怒りを可哀想に、娘さんに向けたのね。でもお母さんの白冰冰は警察には知らせていたものの、メディアには公表してなかったのよ。だから私たちが事件を知ったのは娘さんが誘拐されて1週間も後だったのよ。皮肉にもその報道のせいで、殺される事になってしまったわけだけど。。。やりきれないわよね。だから彼女がメディアに対して“あなたたちは私を助けたいの?!傷つけたいの?!と叫んでいたのをよく覚えてる”」 

 

(私)りんご(日報)とかやっぱり大きく報道したんですよね? 

 

「全ての新聞が大きく報道してたし、ニュースもその事件で持ち切りだったわ。」 

 

(私)ヘンな話ですけど。。。遺体の写真が新聞に載ったって本当ですか? 

 

「うん、私も見たよ。でも彼女の遺体はものすごい暴行をうけて、しかもドブ河に遺棄されて、数日後発見されたの。だから本当にどこがどういう状態か分からないようなひどい状態だったよ。すごく可哀想だった。遺体が見つかるまで、台湾人はみんなどうか無事で帰ってくるといいねって話しあったりしていたものよ。みんな本当に心配していたし、そう願っていたけど、とても残念な結果になってしまって。」 

 

(私)その当時、台湾の人が受けた衝撃はすごかったでしょうね。 

 

「学校にはみんな親が子供を送り迎えしていたし、みんな早く家に帰るようにしていたわね。あの時期はクラブやバーの売り上げがすごく落ちたそうよ。それはそうよね、犯人が捕まってなかったから、犯人が本当にどういう目的で事件を起こしたのかはっきり分からなくて、みんな怖くてたまらなかったのよ。」 

 

(私)台湾人はみんなこの事件知ってるんですか? 

 

「子供なら知らないだろうけど、それ以外で知らない人はいないはずよ。台湾の最大事件の1つだからね」 

 

 

事件が起きたのは十数年前。暁燕さんがまだ生きていたら、私とほぼ同じ年齢だったわけだから、この事件が起きた際、私は大学生だったし、その頃からすでに犯罪とかに興味を持っていたんだけど、この事件が日本で報道された記憶が全くないんだよなー。 

 

ドライバーの楊さんにも聞いてみると「当然知っているよ!久しぶりに思い出したよ!」と言っていろいろ話してくれた。 

 

 

楊さん曰く「彼女のお父さんだか、お母さんへの金に関する怨み」という説もある、と言っていた。

 

「犯人グループってマフィアか何かなんですか?」と聞くと「あいつらはマフィアじゃないよ。ただの大悪党というか、頭がイカれた悪人だ」と言っていた。  

 

 

 

当時を知っている先輩や楊さんのおかげで、色々な話を聞く事ができた。しかしこんな大事件を知らなかったとは。 

 

事件の内容はもちろん、すべて自分の住んでいる都市、台北で起こったことだということもやっぱり衝撃でした。そして時折テレビで見かける白冰冰の明るい笑顔の裏に、そんな悲しい過去があったということも。(事件の後、娘の名の基金会を作ったり、手記も出しているようです) 

 

 

 

あと最後に1つ、ちょっと怪談話チックなこぼれ話をひとつ。 

 

 

 

死刑囚となった主犯の3人のうちの陳ですが、刑務所内で(死刑直前?)「白暁燕(被害者の名前)が来た!白暁燕が来た!!」と騒いでいたという話を聞いた。彼にだけは見えていたのだろうか。。それとも自分の犯した罪への思いが、彼に白暁燕の幻影を見せていたのだろうか。 

 

168 陳進興

 

犯人もこの世にいない今、知るすべもありませんが。。。。

 

 

 

ちなみに先日、これまた何の因果かテレビで主犯の1人、陳の特集が組まれており、家族は今名前を変えてアメリカで暮らしているんだと言っていたが、妻子がおった事に驚いた。自分の子供がいながら。。。どうしてこんな惨い真似が出来たのか理解に苦しむよ。

 

 

(その後・・・)2011年2月12日追加分 

 

1ヶ月ほど前か。この事件の事で、お母さんの冰冰さんがインタビューに答えていた。娘が生前大好きだったというぬいぐるみを今でも大事にしているんだそうだ。(おさるのジョージのだったかな)いつもの底抜けに明るい彼女の笑顔とは裏腹に、その時の笑顔はとても寂しく見えて、切なくなった。 

 

ちょうど私がこの事件を知った時期、なんの偶然かやたらとテレビをつけると、この特集にぶち当たる事があって、何だか不思議な気がしたなぁ。事件が起こった日に近かったわけでもなし、うーん。 

 

 

(その後・・・②)2012年12月29日追加分 

 

「白暁燕事件」のワードでこのブログを訪れる人がかなり多くて、正直ものすごく驚いています。。。 

最近youtubeでこの事件をまとめたものを見つけましたので、付け加えておきます。 

短いながらも、かなりまとまってます。楊日松先生もチラッと出てきます。(※楊日松医師については別の記事でも書きましたがこの事件を担当した台湾人なら知らない人はいないくらい有名な法医学の先生です。その他の江子翠のバラバラ殺人事件、井口真理子事件など、たくさんの有名事件の解剖を担当なさっています。)  

 

 

(その後・・・③)2015年1月3日追加分

「白暁燕 遺体」というワードで検索される方も多いようです。以前はネットで調べてもほぼ出てきませんでしたが、最近(2015年1月現在)は結構出回っているようです…。私も見ましたが・・・ここでは敢えて載せません…。 

 

また、林と陳が整形手術をさせた後、医師とその妻、看護師を殺害した病院は、今はその医師の息子さんの希望により、仏教図書館となっています。 

実は・・・この事件のあった道の名前を聞いた時から、「もしかしたら現場は今私が住んでいる所からさほど離れていないのでは・・・」と思っていたら・・・見事に当たっていた。そこは私はよく通る場所で、その1階にあるお店は結構行っている。 

 

まさかよく行くお店の階上がその事件の現場だとは夢にも思っていなかったので、大変驚いてしまった。

 

 

     
 
 
 
 
 
(その後・・・④)2015年8月31日追加分) 
 
 
本日りんご日報のHPを見て、びっくり。何と白暁燕さんの殺害現場となった、新北市の五股にある家が売りに出されているという。 
 
 
 
その売値は958万台湾ドル。日本円でおよそ三千五百万円ほどか。 
 
 
 
しかも記事には、当時の現場検証に立ち会った警察の証言『左側の浴室の手洗い用の桶には手錠が置かれていた』だの『床の上には血の痕が点々と。。』等という証言まで書かれてあり、誰がこんな家を好き好んで買うんだ?と思ったら、約2ヶ月で20組以上の人が見学に来たようである。 
 
 
 
『たとえ200万台湾ドルでも買わないわ』 
 
 
『馬鹿しか買わないだろ、しかもこんな値段』 
 
 
 
ネットのコメント欄には、大体こんなコメントが並んでいます。 
 
 
 
 
ちなみにその家の写真は以下の通り。写真はりんご日報よりお借りしました) 
 
 
 
 
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主犯の3人。

平塚八平衛

ちょっと前だったら、この名前を聞いても多分犯罪系方面に詳しい方以外は「誰だろう?」って感じだったんじゃないかな。平塚八平衛さん、この方は昭和の名刑事さんです。  

捜査の神様と呼ばれ、昭和を代表する実在の刑事。通称「落としの八平衛」、彼の手がけた事件は殺人事件だけで124件、昭和の有名な事件「小平事件」「帝銀事件」「下山事件」「吉展ちゃん事件」「三億円事件」なども彼が手がけた事件の一部です。 

 

ちなみに「カクタホテル殺人事件」という事件においては、「スッポンの芹さん」こと、鑑識の神様、芹沢常行さんと一緒にお仕事をされていて、個人的に注目している事件だったりします。(マニアックすぎますね。。ごめんなさい。。汗) 

 

 

 

先日日本に一時帰国した際、ちょーど二夜連続スペシャルとかで渡辺謙さん主演で「平塚八平衛~刑事一代~」というドラマがあったので、あれをきっかけに知った人も多いのではないしょうか? 

 

ちなみにあのドラマがあった2日間とも、ちかっぱ忙しかったわしは見れずにひじょーーに悔しい思いをしました。(ちなみに2日目は台湾に帰国する日だったので、見れなかったのです。。) 

 

 

犯罪・事件プチオタク(ああ、自分で言っちゃったよ・・・)としては、これを逃すなんて考えられなかったとですよーー!!「でもきっと近々you tubeで誰かアップしてくれるはずだ!」と自分を鼓舞し、とりあえず泣く泣く諦めたわけですが、結局you tubeにも数シーンくらいしかアップされておらず、崩れ落ちました。。。。

 

 

 

昨日何気なくveohで検索かけてみたら、なんとなんと2日目の「吉展ちゃん事件」のみアップされていて、ちかーっぱ嬉しかったとです☆どちらかと言うと、一日目よりこっちのが見たかったのだ☆

さっそく見てみたんですが、ちかーーっぱ面白かったです。配役完璧だと思う。 

  

平塚八平衛役の渡辺謙はもちろん、一番個人的にハマリ役だったなぁと思ったのが、吉展ちゃん事件の犯人、小原保を演じた萩原正人。マジですごかったと思う。。 

小原保は、写真は見た事があっても実際映像さえも見た事ないです。でも、すっげーなんていうか…本当にこんな人だったんじゃないか?ってすっげー思わされるような。。うまく説明できんですけど、取り調べから、自白のシーンまでものごっつ迫力ありました。 

 

この「吉展ちゃん事件」の際の平塚八平衛と小原保との逸話は有名。それを今回はちょっとご紹介。(最近犯罪系の記事、放置しっぱなしだったしな) 

 

   

 

 

 

昭和38年、3月31日、東京都台東区入谷で建築業者の長男村越吉展ちゃんが、近くの公園から何者かによって連れさられた。

2日後、犯人から身代金五十万円(現在の五百万円相当)を要求する電話があり、母親が犯人の指定場所に金を持参した。ところが現金受け渡し時に警察は犯人を取り逃がし、その上身代金まで奪われてしまう。 

 

 

事件発生から2年、ポスターの呼びかけもむなしく、容疑者逮捕に至らないまま、捜査本部は解散。しかしその2ヶ月後、別の事件を捜査していた平塚八平衛が召集された。こうして八平衛たちは捜査を一からやり直す事にした。 

 

 

ほどなくして、テレビで流した犯人の肉声を聞き、「自分の身内にそっくりだ」と通報があり、小原保が逮捕される。 

 

 

しかし小原は頑として口を割らず、黙秘を続け、事件に関係のない話になると饒舌になった。声紋鑑定からも、小原の態度からも明らかにやったのはこの男だと確信し、平塚八平衛をはじめ、刑事たちは粘り強く取り調べを続けた。 

 

 

ただしこの男にはアリバイがあったのである。昭和38年3月27日から4月3日までは、郷里の福島に帰っていたといい、身代金の受け渡しがあった2日に同じ村に住む老婆が、近くの病院に通院の際、小原の姿を見ていたのだった。2日の日、小原は東京におらず、事件を起こす事は不可能だということになっていた。  

ところが改めて調べなおすと、この証言が老婆の間違いであった事が判明。老婆が持病があり病院に通っていたのだが、小原を見たのは2日ではなく、その前の通院日であった3月28日だったのである。 

 

 

しかし平塚はこういった事実を、一切小原にあてなかった。拘置期限切れと同時に自白させ、一気に逮捕状を取ることをもくろんでいたからである。 

 

しかし翌日になり、直接的な証拠や物証がないため、上層部より「取り調べ一時打ち切り」の通達が平塚のもとに届けられる。その後はFBIによる声紋鑑定に回される事に決まり、その声を録音する短い間だけ、平塚達に取り調べをすることを許可される。 

 

 

ここでの小原の一言が、アリバイを崩れさせるきっかけとなる。 

 

 

(平塚)「東京へ帰ってきたのはいつの日だい?」 

 

(小原)「火事の日なんです」 

 

(平塚)「お前、日暮里の火事、どこで見てたんだい?」 

 

(小原)「山の手線かなにか」 

 

(平塚)「その時の、火が燃えてんの見てんの、君は?」  

 

(小原)「わぁっともう真っ暗になるほど、煙が出てきたんだ」 

 

 

 

実はこの小原が目撃したという、日暮里の火事は、4月2日の午後3時ころ、荒川区日暮里の倉庫街から出火、つまり、福島にいたと主張する4月2日、小原は東京にいたということになる。 

 

こうした小原の動揺を平塚たちは見逃さなかった。アリバイ証言の嘘を次々に小原にあてた。しばらくして小原はこう言った。。。 

 

 

 

 

 

(小原)「吉展ちゃんの事件に関係があります・・・」 

 

 

 

 

 

「何から話したらいいでしょうか?」その後、小原は人が変わったかのように、犯行のすべてを話し始めた。 

 

そしてその供述どおり、吉展ちゃんは7月5日、自宅から程遠くない円通寺の墓地から変わり果てた姿で発見されたのである。 

 

 

しかし頑なまでに自供を拒んだ小原が、なぜ犯行を認めることになったのか? 

 

 

取り調べの最中、平塚は小原の郷里で捜査を行った際の、母親とのやりとりを小原に話していた。 

 

 

  

「息子がもし本当に人を殺したのなら、死んでわびろと言ってください。その代わり、私も後を追って死ぬからと・・・そう伝えてくれと、お前のお母さん、こんな状態だったよ・・・それでもね、泣きながらね、刑事さん、保に早く本当に事を言わせて解決つけてくださいと。お前たまにはおふくろの姿をね、頭に浮かべたことあるのかい?」 

 

 

 

 

 

この一言が、小原に自供を決意させたと言われている。 

 

 

 

死刑執行の日、小原は傍らにいた看守に「今度は真人間になって生まれてきますから、と平塚さんにお伝えください」と言ったそうで、その事は看守自らが平塚に電話で伝えた。 

 

 

 

 

 

以上が昭和の最大事件の一つ「吉展ちゃん事件」の概要です。 

 

退職後、平塚は小原の墓参りにも足を運んだんだそうです。小原保のその墓石さえもない墓に静かに手を合わせに。。。 

 

 

 

でも平塚八平衛の名は知ってるし、手がけた事件の事は知ってるけど「そういや彼の本を読んだことがないな」と思い、今日微風広場に散策しにいってきました。「9割方ないだろうな・・・」と諦めていたんですが、 

 

 

 

 

 

 

あったーーー☆☆☆ 

 

 

 

 

 

Keijiichidai  

 

←まさかあるとは思わなんだーー☆☆ 

 

 

 

 

  

ソッコー購入し、家に帰って今から読むのが楽しみでならんわー♪ 

 

 

 

 

でもまずは宿題&予習を片付けねば!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

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