白銀市連続殺人事件 中国の死刑執行の早さよ。。
数日前、りんご日報で『連續性侵殺害11女 陸割乳淫魔 今被執行死刑』の記事が。犯罪系に興味のある私は『え、誰?』とやはり開いてしまいますよね。





数日前、りんご日報で『連續性侵殺害11女 陸割乳淫魔 今被執行死刑』の記事が。犯罪系に興味のある私は『え、誰?』とやはり開いてしまいますよね。
先日の記事でも書いた『八仙飯店一家殺人事件』について、書きたいと思います。
えー、実は最近「また殺人関連の記事書かないんですか?」というお問い合わせを頂いた。
一昨日、彼は夜勤で私が家に帰ってくると、
最近とある方から、この頃殺人事件関連の記事がないですねというご指摘を(また)いただいた。
そういや・・・最後に書いたのはいつだったっけ?・・・・・・・まぁ、かなり前だという事は確かだよな(苦笑)
りんご日報は毎日見てるし、殺人事件なんてそりゃ台湾でも頻繁に起こってます。恋愛感情のもつれやら(これ結構多い)、親殺し子殺しやら・・・でも私の中では自分が衝撃を受けた事件だけを紹介したいという気持ちもあり。またこういう事件系の記事は書いていて実はすごく労力を使うのですよ。特に台湾や中華圏で起こった事件なら、まずは翻訳から入らないといけないし。
とかつらつら考えていたら、狙い済ましたかのように、最近とある衝撃的な事件を知ることになりました・・・。
最初に忠告しておきます。今回の記事はかなりショッキングな内容を含んでいます。そういう系が駄目な方はここでお止めになった方が宜しいと思います。事件系の本を読み漁っている私でも今回の事件はかなりショックでしたので。あしからず
りんご日報でとある事件記事を見ていて知ることになったこの事件。関連記事として表示されていたのが今回紹介する、この「HelloKitty殺人事件」。まずその題名を見たときは何かの冗談かと思いました。
しかし、かわいらしい題名とは裏腹に、その事件の内容はとにかく恐ろしいものでした・・・。いや、使われた物がかわいらしいからこそ、逆に不気味さが際立っているのかもしれない・・・。白暁燕さん殺人事件も以前このブログで紹介し、あの事件を知った時の衝撃もすごかったですが、正直劣るとも勝らない内容かもしれません・・・。
この凄惨な事件は1999年香港で起きました。
香港に住む23歳の樊敏儀さん、彼女は祖母の医療費を稼ぐため(麻薬のトラブルとも言われているが、真相は定かではない)、ナイトクラブで働いていました。そこで今回の被告の一人、ポン引きの陳文樂(33歳)に借金をしていました。
陳は樊さんに借金の返済を強く求め、妊娠している彼女に無理やり客を取らせたりもしていたようです。その後借金を返せないことが分かると、仲間の梁勝祖(26歲)、梁偉倫(19歲)と3人で彼女を尖沙咀加連威老道 (Granville Road) のアパート31号の3階に監禁し、数週間に渡り、拷問、暴行を加え、死に至らしめたという事件です。
窓やドアを木でふさぎ、周囲にその声が漏れないようにした中で、その拷問、暴行の内容は凄惨を極めました。足の肉を焼いたり、傷口に唐辛子を塗りこんだり、糞尿を食べさせたり、解けたプラスチックを太腿にたらすなど・・・。被害者が叫べば笑うように強要し、精神的にも体力的にもボロボロにし、最後は両手から電気を流すなどし、数週間後ついに樊さんを死に至らしめました・・・。また彼女に無理やり麻薬を摂取させたりもしていたようです。
顔は腫れ上がり、歯は抜け、体中は血と膿にまみれていたといいます。
ここまででも十分凄惨ですが、更に凄惨なのはここから・・・。
彼らは死んだ樊さんの死体を浴槽に運び、鋸やパン切りナイフ等を使ってバラバラに解体しました。梁勝祖は後の取調べでその時の様子を語っているそうですが、元々陳に言われ、梁がバラバラにする役だったとのこと。しかし内臓の臭いがとにかくすさまじく、嘔吐し、梁がとても作業を続けられる状態ではなかったため、結局陳が死体をバラバラにし、内臓はビニール袋に詰めて、ごみ収集所に捨てたと自白しています。
そして身元を隠そうとしたのか、彼女の頭部だけは部屋のストーブで煮込み、部屋にあったハローキティの人形の綿を取り出し、彼女の頭部をキティ人形の中に詰め込んだのでした…。
供述によると、陳が頭部を人形の中に詰めたそうですが、その際こんな風に頭部に話しかけながら作業を続けていたらしい。
「よしよし、いい子だ。・・・動かないでね。今俺が着飾ってあげるからさぁ・・・」(※新聞記事の台詞では、『乖乖,不要動,我幫你打扮』になってるから、日本語訳すると多分こんな所だろう。)
・・・・およそ人間の所業じゃない・・・。
その後3人は逃亡、頭部の入ったキティ人形を現場に残して・・・。
その後そのビルの住人から悪臭がするとの訴えがありましたが、特に警察の捜査は入らず。
事件の展開があったのはそれから1ヵ月後・・・
梁(19)のガールフレンドだった少女の阿芳(13歳)が幽霊に憑かれるという絶え間ない夢を見ていると女児院で話したことから1999年5月24日に警察に通報され、その後警察が例のビルに踏み込むことになり、事件が発覚したのでした。
警察が中に踏み込むと、部屋の中からは強烈な悪臭と無数の虫が飛び出してきました。その警察の目に映ったのは、廊下の奥に無造作に置かれた血のにじんだキティ人形でした。 警察が手に取ると、中には硬い感触がしたといいます。また部屋の中には頭部を煮た鍋もあり、血にまみれた人形の中の開いた時、警察はそこで何があったのかを悟ったのでした。
その後頭部は法医学研究所に回されましたが、煮られていた為DNA鑑定が出来ない状態だったそうです。
それでも証言と証拠を元に、警察はそれから3人の行方を追い、陳を自宅で、梁偉倫を中国の山東省で逮捕、もう一人の梁勝祖は自首という形で事件の犯人達は全員捕えられたのでした。
犯人の3人
※いずれもりんご日報香港版からお借りしました。
しかし裁判でもお互いに罪をなすりつけあい、2人の梁容疑者は全て陳の指示でやったことだと主張したのだとか。指示といってもやったんなら、お前らも立派に同罪だよ。
2000年12月6日、6名による陪審団は証拠不十分により被告に殺人ではなく故殺の罪状が認められるとし、法官の阮雲道 (Peter Nguyen) は最も厳しい刑罰を下すことを決定し、3人に終身刑の判決を下しました。
阮雲道は減刑の申請には最少20年の服役が必要とし、「近年このような残忍、変質的、堕落、暴力、冷淡、凶暴残虐な事件を聞いたことはなく、このような手法で他人に危害を加えることは、禽獣でもありえない。」と事件を形容しました。
判決後、直ちに三被告は上告しましたが二被告については棄却され、陳についてのみ認められたとのこと。この被告については被害者が死亡する一日前から現場に居合わせなかったことから故殺については誤りであるとされ、2004年3月上告法廷の法官高嘉楽により禁錮18年と減刑されたそうですが、ちょっと納得いかないよ、この判決・・・。監禁と死体遺棄については上告されていないため、罪名はそのまま残っているそうですが。
被害者の頭蓋骨は事件中で唯一の物的証拠で、上訴審が終わった後、2004年3月にようやく家族の元に戻され、3月26日に火葬されたそうです。
ちなみに被害者には一人息子がおり、後にカナダへ移住したのだとか・・・。
ちなみにここに住んでいる女性いわく、「以前一緒に住んでいたルームメイトが時々女性の悲鳴のような声が聞こえる事がある」と話していたそう。また階下の美容室でも消したテレビに人影が映ったり、奇妙な事があるそうで、お化け屋敷として地元では有名のようです。ちなみに殺人事件のあった部屋は現在もまだ修繕されておらず、現在も誰も住んでいないようです。ていうか・・・絶対事情知ったら誰も住めないよね・・・・。
この事件は映画やドラマ化もされています。
しかしこんな残虐なやり方で人を殺しておいて、なんて軽い判決なんだろう・・・。日本でも納得できない判決は多いけど、これもとても納得のいく判決とは思えない・・・。しかも裁判中も犯人たちには全く反省や後悔の色が見られなかったようで、事件を悔いているという記述はどこにも見当たらないのです・・・。
こういうのが出てきて、また再犯しないという保証がどこにあるのだろう?反省の色もない、血の通っていない悪魔に機会を与える必要なんてあるのだろうか?
自分で紹介しておいてなんだけど、本当に後味の悪い事件だ。
そう考えると、台湾ではもちろん「ええ?!」という判決もあるけど、日本に比べれば殺人事件でははるかに納得の行く判決が多いと思う。殺人事件の案件を見ていると、結構な確率で無期か死刑になっている気がするもんなー。
ちなみに今回紹介した事件、彼も知っていました。当時台湾でもかなり大々的に紹介されたんだそうで、知っている人も多いそうです。
以上久しぶりの殺人関連の紹介記事でございました・・・。
本日ぼんやりネットを見ていて、とあるきっかけから韓国で実際に起きた本当に不可解な事件を見つけることになった。
一般的には「カエル少年失踪事件」という名前のこの事件。「なんだその名前?苦笑」という感じがするが、内容はとにかく謎謎謎!!!謎だらけ!!ゾッとするような謎だらけ。
以下はウィキペディアからの引用です。
城西小学生失踪事件(ソンソしょうがくせいしっそうじけん)は、1991年3月26日に大韓民国大邱広域市達西区に住んでいた5人の小学生が失踪した事件である。「カエル少年事件」とも呼ばれる(理由は後述)。
事件直後から警察や軍を動員して捜索活動が行われたが、2002年に白骨死体として発見されるまで、全く捜査の糸口が掴めなかった事件であった。「カエルを捕まえに行く」という最後の言葉が脚光を浴びたことから、失踪小学生は通称「カエル少年(개구리 소년)」と呼ばれている。
1991年3月26日、大邱の城西国民学校(小学校)に通っていた5人は、「(近くの)臥竜山にカエルを捕まえに行く」と家を出たきり戻って来なかったため、親たちは失踪届を出した。
必死の捜索活動にも関わらず、失踪小学生の行方は杳として知れなかった。韓国国民の関心も高く、1992年11月には『帰ってこいカエル少年(돌아오라 개구리 소년)』という映画まで製作された。次いで、2011年には『カエル少年失踪殺人事件(아이들)』という映画が製作された。
事件発生から11年が経過した2002年9月に、失踪小学生のものと思われる5体の白骨死体が臥竜山で発見された。検死の結果、道に迷っての遭難や転落などの事故ではなく、何者かによる他殺であることが判明した。
しかし、犯人が誰であるかは不明のまま、2006年3月25日に時効が成立した。
韓国では誰もが知っている有名な事件らしい。ということで韓国のサイトを調べてみたら、これがたくさん!日本や台湾のネットじゃ見られなかった写真、映像なんかもたくさんあって、いかに韓国でも注目されていたかがよく分かる。
http://bbs2.agora.media.daum.net/gaia/do/kin/read?bbsId=K150&articleId=393746
(どちらのサイトも韓国語だけど、当時の写真などもたくさん載っています)
少年たちの行方を呼びかける当時のポスター
そしてこれを題材にした映画があると知り、ネットで色々調べてみると「青蛙少年失踪事件」という名前で中国語字幕の映画を見つけ、彼と見てみました。
感想は。。。とにかく長く感じた!!なんていうか、殺人の追憶と同じような感じ。殺人の追憶は日本語だったからまだ良かったけど、今回は中国語字幕だったため、大変でした。こういう映画は登場人物の言うことにキーポイントがあったりするから、特に集中してみるため、余計に体力を使う。つっても「?」って部分もたくさんあったけど。中国語能力がもっと高ければ、もっと楽しめたかしら(苦笑)あとはやっぱり。。。ハッピーエンドというわけにはいかず、終わった後はぐったり疲れる感じ。
このお話の主人公はテレビ局に勤める一人の男性。この人がこの事件を追っていく。
ちなみにこの映画、中国語では「青蛙少年失踪事件」と「孩子們(子供たち)」という2種類の題名があるみたいです。
一人、二人の失踪、殺害なら今までにも何度もあったけど、5人いっぺんに殺害なんて普通じゃないし、普通に考えたら不可能だと思うんですよね。犯人が一人だった場合は。それに色々調べてみると、
少年たちはテコンドーを習っていた。(簡単に連れ去られるとは思えない)
死体から弾丸が発見された。(一般人が拳銃を持つこともそんなに簡単な事ではない)
なんていうものもあり、ますます謎。映画の中には拷問されたような形跡があったとあったけど、それが実際の子供たちの遺体にあったのかは分かりません。
ただ、鑑識の結果、「他殺」という事はまず間違いないそうだし、本当に誰がどんな目的でこんな幼い子供たちを5人も一緒に手にかけなければいけなかったのか?本当に謎です。
でも調べていくうちに、ひとつのとても興味深いサイトを見つけ、思わず鳥肌が立ちました。このサイトの内容が本当なら。。。。でも、内容はあまりにも道理が通っていて、これなら30万人の捜査員を投入しても証拠が何一つ出なかったことも、どうして銃で殺されたのかも納得がいくのです・・・・・。
とはいえ、犯人が捕まらないまま、時効を迎えてしまったこの事件。もし今犯人が捕まったとしても、罪に問われないという。時効って。。。なんだろう。
久々にゾッとするような、謎の残る事件を知ることになりました。
最近自分のブログを見ていて思うこと・・・・
「白暁燕の記事へのアクセス数が飛びぬけてすごい。」ってこと。かなりの方が関心を持ってるんでしょうか。正直書いたときは「知ってる人なんてそんないないだろうな」と思っていたんですが、日本でも案外関心を持っている人が多いのかと驚いています。
さて、最近私はとある本を台湾のオークションで落札し、読んでおります。今のところ落札しているのは3冊。すべて楊日松医師に関するものです。
さすがに日本人で楊日松を知っている人はほとんどいないと思うのですが、台湾人ならおそらく誰でも知っている有名人。
この人は法医学の仙人とも言われている人で、台湾で起こった有名な殺人事件はほとんどこの楊日松医師が担当しているといっても過言ではないほど、多くの事件を手がけています。50年間で検死した死体の数は2万とも言われています。
つまりは法医さんです。
そしてこのブログでも紹介した、白暁燕の事件もこの楊日松医師が解剖に当たっています。
一番最初に来て、最近読み始めたのは「終結殺機」という本です。楊日松医師の仕事の様子、彼が手がけた事件について書かれている本です。「台湾大捜索」やら「法眼」やら見ているせいか、ある程度の内容は理解できていると思います(たぶんね)。
あと2冊落札した本は、まだ手元に届いていませんが、白暁燕についてもどうやら記載があるようなので、自分が知っていること以外どんなことが書かれているのか、怖くもあり、反面期待もしています。
しかしオール中国語なので、読むのに時間がかかるったら!がんばって読破したいと思います。
先日上司と話していて・・・
(上)「そういや、梶原一騎って知ってる?」
(私)「誰です、それ?」
(上)「えー知らない?明日のジョーとか侍ジャイアンツとか、まぁ言ってみればスポーツ漫画の原作者だよ。それじゃあその娘さんの事件も聞いたことない?」
話はこんな何気ない一言から始まった。
(私)「知らないですよー、なんですか、それ?(毎日りんごチェック&犯罪オタクとしてはちょっと聞き捨てなりません)どんな事件なんですか?」
(上)「台湾にいるなら、これは知っておいた方がいいだろうな。帰って色々調べてみるといいよ。かなり凄惨な事件だけど・・・でも台湾人ならみんな知ってるし、知っておく必要があると思う。日本も全く関係ないってわけじゃないし。」
上司が話してくれた事は、白冰冰という台湾の国民なら誰もが知ってる女優と、先述した梶原一騎の間には1人の娘さんがいたのだそうだ。彼女の名前は白暁燕。しかし彼女が小さい頃に両親は離婚し、白冰冰が娘を引き取り、母娘は台湾で暮らしていた。その娘さんの誘拐事件だという。
白冰冰って誰?という感じだったが、帰ってネットで見て「あー見た事ある!」という女優さん。テレビにも結構出ている人だから、こっちに住んでいる日本人なら知ってる人は結構多いと思われる。
さっそく帰ってから、上司の言っていた事件の内容を調べてみた。
・・・・そして衝撃を受けた。
誘拐殺人事件、日本でもこれまで何度も何件も起きている。だけど、私はここまで被害者を凄惨な方法で死に至らしめた事件を他に知らない・・・・・・。
内容がかなり凄惨なので・・・そっち系がダメな人は読まない方が良いと思います。。事件等にある程度免疫のある流石の私も、これには本気でショックでした。
下記はウィキペディアより引用です。
1997年4月14日、私立醒吾高級中学2年に在学中の暁燕は、通学途中に誘拐された。犯人グループは、直後から輪姦・暴行を加えるとともに、左手小指を切断した。さらに、母冰冰の元に暁燕の半裸の写真と、彼女の切断された小指を送りつけ、500万アメリカ合衆国ドルの身代金を要求した。冰冰はなんとか身代金全額は揃えたが、行政院長連戦の差し金で警察からマスコミに情報が漏れ、中華日報と大成報が報道したため、引き渡し現場に記者が殺到する事態となり、犯人グループは身代金受け取りを断念する。現金が渡れば家に帰れると信じていた暁燕は、戻ってきたグループの一味から身代金受け渡しの失敗を聞いて泣き叫んだが、激昂した犯人グループは、腹いせにさらに凄惨な輪姦・集団暴行を加えて暁燕を惨殺し、遺体の手足を角材で縛ったうえ、重しをつけて台北近郊のドブ川に遺棄した。
4月25日に犯人グループのアジトを急襲し4人が逮捕されたが、3人の主犯格(林春生・高天民・陳進興)を捕り逃がしてしまった。
4月28日、暁燕の原形を止めぬほどにボロボロになった無残な全裸の遺体が発見された。発見者は、最初はブタの死骸と思ったという。直接の死因は窒息だったが、暴行による打撲で肝臓が破裂しており、その内出血で腹腔は大きく膨張し、肋骨もほとんど折れており、両手両足の爪も全て剥がされていた。顔も髪の毛はまばらにされ、両目はえぐり取られ、舌は引き伸ばされ、両耳の鼓膜は爆竹で破られ、前歯は上下三本しか残っていなかった。報告書に「処女膜断裂」とあるように激しい強姦の痕跡も歴然としており、あまつさえ膣と肛門に鉄パイプが2本突き刺され、子宮内には釘が48本も打たれていた。長年にわたり多くの死体を検分した検視係官が「これほど凄惨な遺体を目にしたことはない」と衝撃をうけるほどだった。さらに、遺体発見時の写真を一部のメディアが掲載したため、マスコミへの批判が高まり、白母娘の住んでいた家の付近に、周辺の住民が「記者有罪」と書いた抗議の垂れ幕を下げた。
暁燕の葬儀では、顔にかつらと生前の顔を模した面を着けて納棺された。
被害者の白暁燕。女優としても時々テレビに出ていたんだとか。
ちなみにこの事件の主犯は以下の3人
高天民、林春生、陳進興
ちなみに高天民はこの年の8月、警察との銃撃戦の末、2人の警官を殺傷し、自殺。この殉職した警官には妊娠した許嫁がいたのだそうです・・・。(つい先日、何の因果かテレビで特集が組まれてて驚きました)
10月、残る林と陳は台北市内の方保芳病院で、無理やり顔の整形手術をさせ、医師夫妻と女性看護師を、それぞれピストルで頭を打ち抜いて殺害し(看護師は殺害される前に強姦されていた)逃亡。(犯人とバレた為、口封じだったと思われる)
11月17日、林は再度警察と銃撃戦を繰り広げ、自殺。
11月18日、残った陳は人質を取り、立て篭もるが、翌日投降し逮捕された。(1998年銃殺刑にて死刑執行)
以上が事件の概要です。こいつらマジでやりたい放題・・・・・・・
しかしこれ、なぜ彼女がこんなひどい殺され方をしなきゃならなかったのか。。もちろんメディアの過剰報道のせい、というのが通説らしい。
先輩から新聞には載ってないいろんな話を聞く事が出来た。
「犯人グループは事件を警察やメディアに知らせるなって言ってたの。でもメディアがかぎつけて大きく報道してしまったのよ。だから犯人側が激昂したの。お金の受け渡しに失敗してお金も手に入れられなかったわけだから。その「よくも通報しやがったな!!」という怒りを可哀想に、娘さんに向けたのね。でもお母さんの白冰冰は警察には知らせていたものの、メディアには公表してなかったのよ。だから私たちが事件を知ったのは娘さんが誘拐されて1週間も後だったのよ。皮肉にもその報道のせいで、殺される事になってしまったわけだけど。。。やりきれないわよね。だから彼女がメディアに対して“あなたたちは私を助けたいの?!傷つけたいの?!と叫んでいたのをよく覚えてる”」
(私)りんご(日報)とかやっぱり大きく報道したんですよね?
「全ての新聞が大きく報道してたし、ニュースもその事件で持ち切りだったわ。」
(私)ヘンな話ですけど。。。遺体の写真が新聞に載ったって本当ですか?
「うん、私も見たよ。でも彼女の遺体はものすごい暴行をうけて、しかもドブ河に遺棄されて、数日後発見されたの。だから本当にどこがどういう状態か分からないようなひどい状態だったよ。すごく可哀想だった。遺体が見つかるまで、台湾人はみんなどうか無事で帰ってくるといいねって話しあったりしていたものよ。みんな本当に心配していたし、そう願っていたけど、とても残念な結果になってしまって。」
(私)その当時、台湾の人が受けた衝撃はすごかったでしょうね。
「学校にはみんな親が子供を送り迎えしていたし、みんな早く家に帰るようにしていたわね。あの時期はクラブやバーの売り上げがすごく落ちたそうよ。それはそうよね、犯人が捕まってなかったから、犯人が本当にどういう目的で事件を起こしたのかはっきり分からなくて、みんな怖くてたまらなかったのよ。」
(私)台湾人はみんなこの事件知ってるんですか?
「子供なら知らないだろうけど、それ以外で知らない人はいないはずよ。台湾の最大事件の1つだからね」
事件が起きたのは十数年前。暁燕さんがまだ生きていたら、私とほぼ同じ年齢だったわけだから、この事件が起きた際、私は大学生だったし、その頃からすでに犯罪とかに興味を持っていたんだけど、この事件が日本で報道された記憶が全くないんだよなー。
ドライバーの楊さんにも聞いてみると「当然知っているよ!久しぶりに思い出したよ!」と言っていろいろ話してくれた。
楊さん曰く「彼女のお父さんだか、お母さんへの金に関する怨み」という説もある、と言っていた。
「犯人グループってマフィアか何かなんですか?」と聞くと「あいつらはマフィアじゃないよ。ただの大悪党というか、頭がイカれた悪人だ」と言っていた。
当時を知っている先輩や楊さんのおかげで、色々な話を聞く事ができた。しかしこんな大事件を知らなかったとは。
事件の内容はもちろん、すべて自分の住んでいる都市、台北で起こったことだということもやっぱり衝撃でした。そして時折テレビで見かける白冰冰の明るい笑顔の裏に、そんな悲しい過去があったということも。(事件の後、娘の名の基金会を作ったり、手記も出しているようです)
あと最後に1つ、ちょっと怪談話チックなこぼれ話をひとつ。
死刑囚となった主犯の3人のうちの陳ですが、刑務所内で(死刑直前?)「白暁燕(被害者の名前)が来た!白暁燕が来た!!」と騒いでいたという話を聞いた。彼にだけは見えていたのだろうか。。それとも自分の犯した罪への思いが、彼に白暁燕の幻影を見せていたのだろうか。
犯人もこの世にいない今、知るすべもありませんが。。。。
ちなみに先日、これまた何の因果かテレビで主犯の1人、陳の特集が組まれており、家族は今名前を変えてアメリカで暮らしているんだと言っていたが、妻子がおった事に驚いた。自分の子供がいながら。。。どうしてこんな惨い真似が出来たのか理解に苦しむよ。
(その後・・・)2011年2月12日追加分
1ヶ月ほど前か。この事件の事で、お母さんの冰冰さんがインタビューに答えていた。娘が生前大好きだったというぬいぐるみを今でも大事にしているんだそうだ。(おさるのジョージのだったかな)いつもの底抜けに明るい彼女の笑顔とは裏腹に、その時の笑顔はとても寂しく見えて、切なくなった。
ちょうど私がこの事件を知った時期、なんの偶然かやたらとテレビをつけると、この特集にぶち当たる事があって、何だか不思議な気がしたなぁ。事件が起こった日に近かったわけでもなし、うーん。
(その後・・・②)2012年12月29日追加分
「白暁燕事件」のワードでこのブログを訪れる人がかなり多くて、正直ものすごく驚いています。。。
最近youtubeでこの事件をまとめたものを見つけましたので、付け加えておきます。
短いながらも、かなりまとまってます。楊日松先生もチラッと出てきます。(※楊日松医師については別の記事でも書きましたがこの事件を担当した台湾人なら知らない人はいないくらい有名な法医学の先生です。その他の江子翠のバラバラ殺人事件、井口真理子事件など、たくさんの有名事件の解剖を担当なさっています。)
(その後・・・③)2015年1月3日追加分
「白暁燕 遺体」というワードで検索される方も多いようです。以前はネットで調べてもほぼ出てきませんでしたが、最近(2015年1月現在)は結構出回っているようです…。私も見ましたが・・・ここでは敢えて載せません…。
また、林と陳が整形手術をさせた後、医師とその妻、看護師を殺害した病院は、今はその医師の息子さんの希望により、仏教図書館となっています。
実は・・・この事件のあった道の名前を聞いた時から、「もしかしたら現場は今私が住んでいる所からさほど離れていないのでは・・・」と思っていたら・・・見事に当たっていた。そこは私はよく通る場所で、その1階にあるお店は結構行っている。
まさかよく行くお店の階上がその事件の現場だとは夢にも思っていなかったので、大変驚いてしまった。
ちょっと前だったら、この名前を聞いても多分犯罪系方面に詳しい方以外は「誰だろう?」って感じだったんじゃないかな。平塚八平衛さん、この方は昭和の名刑事さんです。
捜査の神様と呼ばれ、昭和を代表する実在の刑事。通称「落としの八平衛」、彼の手がけた事件は殺人事件だけで124件、昭和の有名な事件「小平事件」「帝銀事件」「下山事件」「吉展ちゃん事件」「三億円事件」なども彼が手がけた事件の一部です。
ちなみに「カクタホテル殺人事件」という事件においては、「スッポンの芹さん」こと、鑑識の神様、芹沢常行さんと一緒にお仕事をされていて、個人的に注目している事件だったりします。(マニアックすぎますね。。ごめんなさい。。汗)
先日日本に一時帰国した際、ちょーど二夜連続スペシャルとかで渡辺謙さん主演で「平塚八平衛~刑事一代~」というドラマがあったので、あれをきっかけに知った人も多いのではないしょうか?
ちなみにあのドラマがあった2日間とも、ちかっぱ忙しかったわしは見れずにひじょーーに悔しい思いをしました。(ちなみに2日目は台湾に帰国する日だったので、見れなかったのです。。)
犯罪・事件プチオタク(ああ、自分で言っちゃったよ・・・)としては、これを逃すなんて考えられなかったとですよーー!!「でもきっと近々you tubeで誰かアップしてくれるはずだ!」と自分を鼓舞し、とりあえず泣く泣く諦めたわけですが、結局you tubeにも数シーンくらいしかアップされておらず、崩れ落ちました。。。。
昨日何気なくveohで検索かけてみたら、なんとなんと2日目の「吉展ちゃん事件」のみアップされていて、ちかーっぱ嬉しかったとです☆どちらかと言うと、一日目よりこっちのが見たかったのだ☆
さっそく見てみたんですが、ちかーーっぱ面白かったです。配役完璧だと思う。
平塚八平衛役の渡辺謙はもちろん、一番個人的にハマリ役だったなぁと思ったのが、吉展ちゃん事件の犯人、小原保を演じた萩原正人。マジですごかったと思う。。
小原保は、写真は見た事があっても実際映像さえも見た事ないです。でも、すっげーなんていうか…本当にこんな人だったんじゃないか?ってすっげー思わされるような。。うまく説明できんですけど、取り調べから、自白のシーンまでものごっつ迫力ありました。
この「吉展ちゃん事件」の際の平塚八平衛と小原保との逸話は有名。それを今回はちょっとご紹介。(最近犯罪系の記事、放置しっぱなしだったしな)
昭和38年、3月31日、東京都台東区入谷で建築業者の長男村越吉展ちゃんが、近くの公園から何者かによって連れさられた。
2日後、犯人から身代金五十万円(現在の五百万円相当)を要求する電話があり、母親が犯人の指定場所に金を持参した。ところが現金受け渡し時に警察は犯人を取り逃がし、その上身代金まで奪われてしまう。
事件発生から2年、ポスターの呼びかけもむなしく、容疑者逮捕に至らないまま、捜査本部は解散。しかしその2ヶ月後、別の事件を捜査していた平塚八平衛が召集された。こうして八平衛たちは捜査を一からやり直す事にした。
ほどなくして、テレビで流した犯人の肉声を聞き、「自分の身内にそっくりだ」と通報があり、小原保が逮捕される。
しかし小原は頑として口を割らず、黙秘を続け、事件に関係のない話になると饒舌になった。声紋鑑定からも、小原の態度からも明らかにやったのはこの男だと確信し、平塚八平衛をはじめ、刑事たちは粘り強く取り調べを続けた。
ただしこの男にはアリバイがあったのである。昭和38年3月27日から4月3日までは、郷里の福島に帰っていたといい、身代金の受け渡しがあった2日に同じ村に住む老婆が、近くの病院に通院の際、小原の姿を見ていたのだった。2日の日、小原は東京におらず、事件を起こす事は不可能だということになっていた。
ところが改めて調べなおすと、この証言が老婆の間違いであった事が判明。老婆が持病があり病院に通っていたのだが、小原を見たのは2日ではなく、その前の通院日であった3月28日だったのである。
しかし平塚はこういった事実を、一切小原にあてなかった。拘置期限切れと同時に自白させ、一気に逮捕状を取ることをもくろんでいたからである。
しかし翌日になり、直接的な証拠や物証がないため、上層部より「取り調べ一時打ち切り」の通達が平塚のもとに届けられる。その後はFBIによる声紋鑑定に回される事に決まり、その声を録音する短い間だけ、平塚達に取り調べをすることを許可される。
ここでの小原の一言が、アリバイを崩れさせるきっかけとなる。
(平塚)「東京へ帰ってきたのはいつの日だい?」
(小原)「火事の日なんです」
(平塚)「お前、日暮里の火事、どこで見てたんだい?」
(小原)「山の手線かなにか」
(平塚)「その時の、火が燃えてんの見てんの、君は?」
(小原)「わぁっともう真っ暗になるほど、煙が出てきたんだ」
実はこの小原が目撃したという、日暮里の火事は、4月2日の午後3時ころ、荒川区日暮里の倉庫街から出火、つまり、福島にいたと主張する4月2日、小原は東京にいたということになる。
こうした小原の動揺を平塚たちは見逃さなかった。アリバイ証言の嘘を次々に小原にあてた。しばらくして小原はこう言った。。。
(小原)「吉展ちゃんの事件に関係があります・・・」
「何から話したらいいでしょうか?」その後、小原は人が変わったかのように、犯行のすべてを話し始めた。
そしてその供述どおり、吉展ちゃんは7月5日、自宅から程遠くない円通寺の墓地から変わり果てた姿で発見されたのである。
しかし頑なまでに自供を拒んだ小原が、なぜ犯行を認めることになったのか?
取り調べの最中、平塚は小原の郷里で捜査を行った際の、母親とのやりとりを小原に話していた。
「息子がもし本当に人を殺したのなら、死んでわびろと言ってください。その代わり、私も後を追って死ぬからと・・・そう伝えてくれと、お前のお母さん、こんな状態だったよ・・・それでもね、泣きながらね、刑事さん、保に早く本当に事を言わせて解決つけてくださいと。お前たまにはおふくろの姿をね、頭に浮かべたことあるのかい?」
この一言が、小原に自供を決意させたと言われている。
死刑執行の日、小原は傍らにいた看守に「今度は真人間になって生まれてきますから、と平塚さんにお伝えください」と言ったそうで、その事は看守自らが平塚に電話で伝えた。
以上が昭和の最大事件の一つ「吉展ちゃん事件」の概要です。
退職後、平塚は小原の墓参りにも足を運んだんだそうです。小原保のその墓石さえもない墓に静かに手を合わせに。。。
でも平塚八平衛の名は知ってるし、手がけた事件の事は知ってるけど「そういや彼の本を読んだことがないな」と思い、今日微風広場に散策しにいってきました。「9割方ないだろうな・・・」と諦めていたんですが、
あったーーー☆☆☆
←まさかあるとは思わなんだーー☆☆
ソッコー購入し、家に帰って今から読むのが楽しみでならんわー♪
でもまずは宿題&予習を片付けねば!!!!
最近、ゲームにっきと並び、こちらの記事をまったく書いてなかったんですが、「もう書かないんですか?」というメールをいただいたので、はりきって書きます。(単純)
今回は、タイの殺人者シーウィーについて書こうと思います。…またえらくマニアックな人を取り上げてしまいました。この人は、タイに詳しい人だったら結構知ってる方は多いと思いますが、彼が起こしたショッキングな事件とはうらはらに、本などにもほとんど載っていないので、おそらく「誰だ?」という方のが多いと思います。
わしがシーウィーの存在を知ったのは、バックパッカーの方の本を読んでいて「タイにあるシリラート法医学博物館に行った」という内容を見てからです。ちなみに、シリラート法医学博物館とは日本にあれば、まず大問題になるような、とんでもないものがオンパレードの博物館です。(別名悪趣味博物館といっても過言ではないかも)
例えば、殺人者のロウ漬けした死体とか、シャム双生児のホルマリンとか、殺人事件の被害者の服とか写真とか、そういったモノがたくさん展示されてるらしいです。
らしい、というのはわしはまだ行ったことがなく、ネットや本で見たことしかないからです。いつか行ってみたいんですけどね(←まだでたよ)ちなみに、You tubeとかでも、ここの映像を見ることができます。(ただしかなりグロいので、そっち系がダメな人は絶対に見ないように。また映像と一緒に流れるBGMが怖いんだわ、これが。。汗)
で、ここの博物館、別名“シーウィー博物館”と呼ばれてるらしいんです。というのも、シーウィーのロウ漬けの死体が展示されているからです。
このシーウィー、なぜ死んだ後、こんな所でさらし者になっているのか、シーウィーとはいったいどんな人物だったのでしょうか?
1946年のタイに、中国からある1人の若者がやってきました。彼の名はシーウィー・セウン。(またはリーフィ)中国の南にある貧しい田舎で育った彼は、タイにいる親戚を頼り、この国で一旗あげようと、単身タイへとやってきたのでした。
彼は幼い頃から、たびたびいじめにあっていたそうですが、タイでも同じようないじめを受けるようになってしまいます。「ここに来ても、また俺はいじめられる。。大人だけでなく、子どもたちからも馬鹿にされる。。。」
また、慣れない仕事でミスをするたびに、同僚や上司に罵倒され、時には殴られる事さえありました。
そういった心のストレスもあったからでしょうか、元々あまり体力がなかった事に加え、持病の喘息が悪化したりと、彼は次第に追い詰められていきます。
それがいつから彼の頭の中に芽生え始めたのかは分かりません。ある考えが、彼の頭の支配をするようになります。ある考えとは・・・・
彼がその話をどこで聞いたのかははっきりしません。「幼い頃、近所の老人に聞いた」「地元で広まった噂を聞いた」いろんな説があります。それは、「人肉を食べると、体力的にも精神的にも強くなり、不老不死のパワーが得られるらしい」というもの。
普通の人だったら「んな馬鹿な」と笑い飛ばしてしまう所ですが、こんな常軌を逸したとんでもない話を、彼は信じるようになっていきます。
「人肉さえ食べれば、俺はきっと強くなれるはずだ!…しかし、体力も知能もない自分がどうやって人肉を手に入れるというのだろう?とても出来ない。いや、待てよ、大人はダメでも子どもなら何とかなるかもしれない!!」
そして1954年4月、彼は8歳の少女を殺そうとしますが、結局未遂に終わってしまいます。その後、ホヒン・ラヨンやプラチュア・プキリカーンをなどを行き来しながら、ついに初めての殺人に手を染めてしまいます。
最初の被害者は中国人の10歳の少女でした。祭りの人ごみに紛れて連れ出し、首を切り殺害。その後、ナイフで腹を割き、心臓と肝臓を持ち去りました。そのまま家にとんで帰ると、持ち帰ったそれを、鍋で煮て食したのでした。
「(それを食べて)強くなった気がした」彼はその後も、5歳の少女、7歳の少女と次々に殺害、もちろん殺した後は、臓器を持ち去り食べる事を忘れませんでした。
こうしてシーウィーは3年間の間に、少女5人、少年1人の計6人を殺害したのでした。
そして、1957年(1958年という説もある)2月、ついに彼は逮捕されます。
逮捕のきっかけは「地元民からの通報」「最後の犠牲者の死体を隠している所を警察に見つかって」などの説があります。取調べ室で彼は「強くなりたかったんだ」と話したといわれています。そして彼の自白の内容に、人々は涙し、憤りました。
1959年6月(9月16日の説もある)、銃殺刑にて死亡。
その後、中国政府は彼の遺体の引取りを要請しましたが、タイ政府はこれを拒否。その後彼の遺体は「頭の中の状態を調べるため」解剖に回され、そして今現在までシリラート博物館で真っ黒のロウ漬けとなり、展示されているのです。
なぜ彼の遺体は埋葬されず、今もなお博物館で展示されているのかといえば、タイ政府により「死刑にした後も、供養する価値はない」という判断がくだされたため。
シーウィーに関しては、本当に資料(本)がない。「国内でちょっとでも取り上げた本ってあるんやろうか?」ってくらい、見つけるのが困難でした。だから、シーウィーについて書いてある本でわしが持っているのは1冊だけ。
・「実録!マーダーウォッチャー」(洋泉社ムック)
ただこれも、シーウィーのページは3ページのみです。あとは国内外の殺人事件などについて、いくつか取り上げてあります。
シーウィーに関する本って、他に出てたりするんでしょうか?もし知っている方がいたら、ぜひ教えていただきたいです。ちなみに2004年に、タイではこのシーウィーの事件が映画化されているそうです。
こちら↓シリラート博物館の事が載っています。ちなみにシーウィーのロウ漬けの写真もあり。(他にもかなりグロイ写真がありますので、心臓の弱い方は見ないように。)
http://www.bangkoknavi.com/miru/miru.php?id=14
☆追記☆
2010年に入り、コメントいただいた方からシーウィーの映画の情報をいただき、念願かなって最近見ることが出来たのですが、こちらはわしが思うにグロさはほぼありません。それよりも何よりも、可哀想な彼の生い立ちに同情せざるを得ないといいますか…見終わった後は、なんとも切ない気持になります。。。
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