殺人者・事件関連

平塚八平衛

ちょっと前だったら、この名前を聞いても多分犯罪系方面に詳しい方以外は「誰だろう?」って感じだったんじゃないかな。平塚八平衛さん、この方は昭和の名刑事さんです。  

捜査の神様と呼ばれ、昭和を代表する実在の刑事。通称「落としの八平衛」、彼の手がけた事件は殺人事件だけで124件、昭和の有名な事件「小平事件」「帝銀事件」「下山事件」「吉展ちゃん事件」「三億円事件」なども彼が手がけた事件の一部です。 

 

ちなみに「カクタホテル殺人事件」という事件においては、「スッポンの芹さん」こと、鑑識の神様、芹沢常行さんと一緒にお仕事をされていて、個人的に注目している事件だったりします。(マニアックすぎますね。。ごめんなさい。。汗) 

 

 

 

先日日本に一時帰国した際、ちょーど二夜連続スペシャルとかで渡辺謙さん主演で「平塚八平衛~刑事一代~」というドラマがあったので、あれをきっかけに知った人も多いのではないしょうか? 

 

ちなみにあのドラマがあった2日間とも、ちかっぱ忙しかったわしは見れずにひじょーーに悔しい思いをしました。(ちなみに2日目は台湾に帰国する日だったので、見れなかったのです。。) 

 

 

犯罪・事件プチオタク(ああ、自分で言っちゃったよ・・・)としては、これを逃すなんて考えられなかったとですよーー!!「でもきっと近々you tubeで誰かアップしてくれるはずだ!」と自分を鼓舞し、とりあえず泣く泣く諦めたわけですが、結局you tubeにも数シーンくらいしかアップされておらず、崩れ落ちました。。。。

 

 

 

昨日何気なくveohで検索かけてみたら、なんとなんと2日目の「吉展ちゃん事件」のみアップされていて、ちかーっぱ嬉しかったとです☆どちらかと言うと、一日目よりこっちのが見たかったのだ☆

さっそく見てみたんですが、ちかーーっぱ面白かったです。配役完璧だと思う。 

  

平塚八平衛役の渡辺謙はもちろん、一番個人的にハマリ役だったなぁと思ったのが、吉展ちゃん事件の犯人、小原保を演じた萩原正人。マジですごかったと思う。。 

小原保は、写真は見た事があっても実際映像さえも見た事ないです。でも、すっげーなんていうか…本当にこんな人だったんじゃないか?ってすっげー思わされるような。。うまく説明できんですけど、取り調べから、自白のシーンまでものごっつ迫力ありました。 

 

この「吉展ちゃん事件」の際の平塚八平衛と小原保との逸話は有名。それを今回はちょっとご紹介。(最近犯罪系の記事、放置しっぱなしだったしな) 

 

   

 

 

 

昭和38年、3月31日、東京都台東区入谷で建築業者の長男村越吉展ちゃんが、近くの公園から何者かによって連れさられた。

2日後、犯人から身代金五十万円(現在の五百万円相当)を要求する電話があり、母親が犯人の指定場所に金を持参した。ところが現金受け渡し時に警察は犯人を取り逃がし、その上身代金まで奪われてしまう。 

 

 

事件発生から2年、ポスターの呼びかけもむなしく、容疑者逮捕に至らないまま、捜査本部は解散。しかしその2ヶ月後、別の事件を捜査していた平塚八平衛が召集された。こうして八平衛たちは捜査を一からやり直す事にした。 

 

 

ほどなくして、テレビで流した犯人の肉声を聞き、「自分の身内にそっくりだ」と通報があり、小原保が逮捕される。 

 

 

しかし小原は頑として口を割らず、黙秘を続け、事件に関係のない話になると饒舌になった。声紋鑑定からも、小原の態度からも明らかにやったのはこの男だと確信し、平塚八平衛をはじめ、刑事たちは粘り強く取り調べを続けた。 

 

 

ただしこの男にはアリバイがあったのである。昭和38年3月27日から4月3日までは、郷里の福島に帰っていたといい、身代金の受け渡しがあった2日に同じ村に住む老婆が、近くの病院に通院の際、小原の姿を見ていたのだった。2日の日、小原は東京におらず、事件を起こす事は不可能だということになっていた。  

ところが改めて調べなおすと、この証言が老婆の間違いであった事が判明。老婆が持病があり病院に通っていたのだが、小原を見たのは2日ではなく、その前の通院日であった3月28日だったのである。 

 

 

しかし平塚はこういった事実を、一切小原にあてなかった。拘置期限切れと同時に自白させ、一気に逮捕状を取ることをもくろんでいたからである。 

 

しかし翌日になり、直接的な証拠や物証がないため、上層部より「取り調べ一時打ち切り」の通達が平塚のもとに届けられる。その後はFBIによる声紋鑑定に回される事に決まり、その声を録音する短い間だけ、平塚達に取り調べをすることを許可される。 

 

 

ここでの小原の一言が、アリバイを崩れさせるきっかけとなる。 

 

 

(平塚)「東京へ帰ってきたのはいつの日だい?」 

 

(小原)「火事の日なんです」 

 

(平塚)「お前、日暮里の火事、どこで見てたんだい?」 

 

(小原)「山の手線かなにか」 

 

(平塚)「その時の、火が燃えてんの見てんの、君は?」  

 

(小原)「わぁっともう真っ暗になるほど、煙が出てきたんだ」 

 

 

 

実はこの小原が目撃したという、日暮里の火事は、4月2日の午後3時ころ、荒川区日暮里の倉庫街から出火、つまり、福島にいたと主張する4月2日、小原は東京にいたということになる。 

 

こうした小原の動揺を平塚たちは見逃さなかった。アリバイ証言の嘘を次々に小原にあてた。しばらくして小原はこう言った。。。 

 

 

 

 

 

(小原)「吉展ちゃんの事件に関係があります・・・」 

 

 

 

 

 

「何から話したらいいでしょうか?」その後、小原は人が変わったかのように、犯行のすべてを話し始めた。 

 

そしてその供述どおり、吉展ちゃんは7月5日、自宅から程遠くない円通寺の墓地から変わり果てた姿で発見されたのである。 

 

 

しかし頑なまでに自供を拒んだ小原が、なぜ犯行を認めることになったのか? 

 

 

取り調べの最中、平塚は小原の郷里で捜査を行った際の、母親とのやりとりを小原に話していた。 

 

 

  

「息子がもし本当に人を殺したのなら、死んでわびろと言ってください。その代わり、私も後を追って死ぬからと・・・そう伝えてくれと、お前のお母さん、こんな状態だったよ・・・それでもね、泣きながらね、刑事さん、保に早く本当に事を言わせて解決つけてくださいと。お前たまにはおふくろの姿をね、頭に浮かべたことあるのかい?」 

 

 

 

 

 

この一言が、小原に自供を決意させたと言われている。 

 

 

 

死刑執行の日、小原は傍らにいた看守に「今度は真人間になって生まれてきますから、と平塚さんにお伝えください」と言ったそうで、その事は看守自らが平塚に電話で伝えた。 

 

 

 

 

 

以上が昭和の最大事件の一つ「吉展ちゃん事件」の概要です。 

 

退職後、平塚は小原の墓参りにも足を運んだんだそうです。小原保のその墓石さえもない墓に静かに手を合わせに。。。 

 

 

 

でも平塚八平衛の名は知ってるし、手がけた事件の事は知ってるけど「そういや彼の本を読んだことがないな」と思い、今日微風広場に散策しにいってきました。「9割方ないだろうな・・・」と諦めていたんですが、 

 

 

 

 

 

 

あったーーー☆☆☆ 

 

 

 

 

 

Keijiichidai  

 

←まさかあるとは思わなんだーー☆☆ 

 

 

 

 

  

ソッコー購入し、家に帰って今から読むのが楽しみでならんわー♪ 

 

 

 

 

でもまずは宿題&予習を片付けねば!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

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シーウィー

最近、ゲームにっきと並び、こちらの記事をまったく書いてなかったんですが、「もう書かないんですか?」というメールをいただいたので、はりきって書きます。(単純) 

 

 

 

今回は、タイの殺人者シーウィーについて書こうと思います。…またえらくマニアックな人を取り上げてしまいました。この人は、タイに詳しい人だったら結構知ってる方は多いと思いますが、彼が起こしたショッキングな事件とはうらはらに、本などにもほとんど載っていないので、おそらく「誰だ?」という方のが多いと思います。 

 

わしがシーウィーの存在を知ったのは、バックパッカーの方の本を読んでいて「タイにあるシリラート法医学博物館に行った」という内容を見てからです。ちなみに、シリラート法医学博物館とは日本にあれば、まず大問題になるような、とんでもないものがオンパレードの博物館です。(別名悪趣味博物館といっても過言ではないかも) 

例えば、殺人者のロウ漬けした死体とか、シャム双生児のホルマリンとか、殺人事件の被害者の服とか写真とか、そういったモノがたくさん展示されてるらしいです。 

 

らしい、というのはわしはまだ行ったことがなく、ネットや本で見たことしかないからです。いつか行ってみたいんですけどね(←まだでたよ)ちなみに、You tubeとかでも、ここの映像を見ることができます。(ただしかなりグロいので、そっち系がダメな人は絶対に見ないように。また映像と一緒に流れるBGMが怖いんだわ、これが。。汗) 

 

 

で、ここの博物館、別名“シーウィー博物館”と呼ばれてるらしいんです。というのも、シーウィーのロウ漬けの死体が展示されているからです。 

 

このシーウィー、なぜ死んだ後、こんな所でさらし者になっているのか、シーウィーとはいったいどんな人物だったのでしょうか? 

 

 

 

 

1946年のタイに、中国からある1人の若者がやってきました。彼の名はシーウィー・セウン。(またはリーフィ)中国の南にある貧しい田舎で育った彼は、タイにいる親戚を頼り、この国で一旗あげようと、単身タイへとやってきたのでした。 

 

彼は幼い頃から、たびたびいじめにあっていたそうですが、タイでも同じようないじめを受けるようになってしまいます。「ここに来ても、また俺はいじめられる。。大人だけでなく、子どもたちからも馬鹿にされる。。。」 

また、慣れない仕事でミスをするたびに、同僚や上司に罵倒され、時には殴られる事さえありました。 

 

 

そういった心のストレスもあったからでしょうか、元々あまり体力がなかった事に加え、持病の喘息が悪化したりと、彼は次第に追い詰められていきます。 

 

 

それがいつから彼の頭の中に芽生え始めたのかは分かりません。ある考えが、彼の頭の支配をするようになります。ある考えとは・・・・ 

 

 

彼がその話をどこで聞いたのかははっきりしません。「幼い頃、近所の老人に聞いた」「地元で広まった噂を聞いた」いろんな説があります。それは、「人肉を食べると、体力的にも精神的にも強くなり、不老不死のパワーが得られるらしい」というもの。 

 

普通の人だったら「んな馬鹿な」と笑い飛ばしてしまう所ですが、こんな常軌を逸したとんでもない話を、彼は信じるようになっていきます。 

 

 

「人肉さえ食べれば、俺はきっと強くなれるはずだ!…しかし、体力も知能もない自分がどうやって人肉を手に入れるというのだろう?とても出来ない。いや、待てよ、大人はダメでも子どもなら何とかなるかもしれない!!」 

 

 

そして1954年4月、彼は8歳の少女を殺そうとしますが、結局未遂に終わってしまいます。その後、ホヒン・ラヨンやプラチュア・プキリカーンをなどを行き来しながら、ついに初めての殺人に手を染めてしまいます。 

 

最初の被害者は中国人の10歳の少女でした。祭りの人ごみに紛れて連れ出し、首を切り殺害。その後、ナイフで腹を割き、心臓と肝臓を持ち去りました。そのまま家にとんで帰ると、持ち帰ったそれを、鍋で煮て食したのでした。 

「(それを食べて)強くなった気がした」彼はその後も、5歳の少女、7歳の少女と次々に殺害、もちろん殺した後は、臓器を持ち去り食べる事を忘れませんでした。 

 

こうしてシーウィーは3年間の間に、少女5人、少年1人の計6人を殺害したのでした。 

 

 

そして、1957年(1958年という説もある)2月、ついに彼は逮捕されます。 

 

 

逮捕のきっかけは「地元民からの通報」「最後の犠牲者の死体を隠している所を警察に見つかって」などの説があります。取調べ室で彼は「強くなりたかったんだ」と話したといわれています。そして彼の自白の内容に、人々は涙し、憤りました。 

 

1959年6月(9月の説もある)、銃殺刑にて死亡。 

 

その後、中国政府は彼の遺体の引取りを要請しましたが、タイ政府はこれを却下。その後彼の遺体は「頭の中の状態を調べるため」解剖に回され、そして今現在までシリラート博物館で真っ黒のロウ漬けとなり、展示されているのです。 

なぜ彼の遺体は埋葬されず、今もなお博物館で展示されているのかといえば、タイ政府により「死刑にした後も、供養する価値はない」という判断がくだされたため。

  

 

シーウィーに関しては、本当に資料(本)がない。「国内でちょっとでも取り上げた本ってあるんやろうか?」ってくらい、見つけるのが困難でした。だから、シーウィーについて書いてある本でわしが持っているのは1冊だけ。 

 

 

・「実録!マーダーウォッチャー」(洋泉社ムック) 

ただこれも、シーウィーのページは3ページのみです。あとは国内外の殺人事件などについて、いくつか取り上げてあります。  

 

シーウィーに関する本って、他に出てたりするんでしょうか?もし知っている方がいたら、ぜひ教えていただきたいです。ちなみに2004年に、タイではこのシーウィーの事件が映画化されているそうです。  

 

 

こちら↓シリラート博物館の事が載っています。ちなみにシーウィーのロウ漬けの写真もあり。(他にもかなりグロイ写真がありますので、心臓の弱い方は見ないように。) 

http://www.bangkoknavi.com/miru/miru.php?id=14

 

 

 

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ロシアの赤い切り裂き魔

みなさま、こんにちは☆

 

さて、先日ブログに書いたとおり、友達に欲しかった本をYahooオークションで落札して貰ったわし。お次は、2冊目のご紹介。

 

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←週刊マーダーケースブック「アンドレイ・チカチロ」

 

 

みなさまは、この名前を聞いたことがありますか?アンドレイ・ロマノヴィッチ・チカチーロ。「聞いたことがある」という人は、殺人事件関連にかなり詳しい方でしょう。

 

 

 

わしが初めてチカチーロの存在を知ったのは、地元の図書館で平山夢明さんの「異常快楽殺人」を読んでから。

 

 

この本にはチカチーロのほかに、エド・ゲイン、アルバート・フィッシュ、ジョン・ウェイン・ゲイシーなど、こちら方面に詳しい方なら必ずと言っていいほど知っている、希代の異常殺人者たちと共に、かなり詳しく書かれています。最初に読んだ時の衝撃は、忘れられないです。「本当にこんな人たちがおったのか?!」とかなりショックを受けました。実際、夢にまで見てうなされましたしね。

 

それが今じゃ、本棚はそっち系列の本ばっか。。。どこでどう間違ったんだろうか(爆)

 

まぁそれはさておき、チカチーロは海外の殺人者の中で、わしが最も興味?を持っている殺人者です。日本での事件が「津山三十人殺し」なら、外国の事件で一番本を読み漁ったのは、このチカチーロの起こした事件だと思います。  

 

ではチカチーロについて、少し説明を。かなり凄惨な事件なので、そっち系がだめな方はスルーなさってくださいまし。

 

 

 

彼は1936年(1941年という説もある)に、ウクライナの片田舎ロストフ(ヤボロチノエという説もあり)で生まれています。家はかなり貧しかったのですが、成績はかなり優秀でした。

しかし幼い頃からかなりの近視と性的不能で、それが彼の人生を大きく狂わせていくことになります。また、彼は幼い頃から母アンナに「チカチーロの兄(いとこという説もある)は、飢えた農民にさらわれて食べられてしまった」と聞かされ続けていました。(この母親の話が本当かどうかは、未だにはっきり分かっていないそうですが。)後年チカチーロはこの話が頭に残っていて、病的状態に追い込まれたのだと主張していました。 

 

彼は成長して教師になりましたが、そこで生徒の体に触ったり、問題のある行動がかなり目立っていたそうです。そして1978年、ついに彼は殺人に手を染めてしまいます。

 

 

この年の12月。友達の家から帰宅途中の、わずか9歳の少女を自分の所有する小屋に連れ込み殺害。これを皮切りに、なんと彼は1990年に逮捕されるまで、52人の少年少女を惨殺。その殺害方法は凄惨を極め、どの死体もかなり損傷が激しかったといいます。また、未だに身元不明の死体もあるそうです。

ちなみに裁判中に、彼の犯行が読み上げられた時、そのあまりに惨い内容に、遺族が気を失ってしまった事もあったといいます。 

      

 

某サイトや本で、実際に犠牲者の写真を見ましたが、ひどいもんです。というのも、彼はインポテンツだったそうですが、血を見たり、ナイフで刺す事で性的に興奮していたからです。そして、彼はよく被害者の体の一部、子宮(彼は女の梨と呼んでいたそうです。。怖い。。)や陰茎などを切り取り、食べることを好んでいたようです。いわゆるカニバリズムの傾向があったのですね。本人は「食べては無い!」と言い張っていたようですが。。。 

 

 

Photo  

 

←法廷のチカチーロ。遺族から報復を受ける恐れがあったため、周りに鉄格子が組まれています。 

 

 

 

 

1992年、銃殺刑にて死亡。   

 

 

日本で彼だけを取り上げて書かれている本は、確か4冊出ているはずです。(ヨーロッパでは数冊出ていると、何かで見ましたが。。)

とりあえず、全て所有してはいるんですが、わしが読んだ限り、この中では「子供たちは森に消えた」がおそらく一番詳しく書かれていると思います。捜査にあたった刑事さんの生い立ちとか、正直どうでもいい話も多かったですけどね。でも「撫で肩の男」ほどではないかと。この本は、とにかく刑事さんの身の上?の部分が多く、辟易しました(苦笑)

 

あと、↓のオムニバス形式の本の方でも紹介した「続・連続殺人者」は、写真などもそこそこ多く、ほどよいページ数な上に、かなり詳細に書かれてあると感じました。 

 

 

わしの持ってる本の一部を紹介。興味のある方は、一度読んでみられては?

 

●「子供たちは森に消えた」

●「週刊マーダーケースブックNo.5 アンドレイ・チカチロ」

●「52人を殺した男」

●「撫で肩の男 ロシアの殺人鬼を追って」 

●「ロシアの死神」

 

(オムニバス形式のもの) 

●続・連続殺人者 タイム・ライフ編 同朋舎出版 ←この本はかなりオススメです。

●「犯罪ショック 戦慄の事件ドキュメント」  松平龍一 左近裕

●「殺人王」  目黒殺人鬼博物館編

●「猟奇快楽殺人」  作務和一

●「超異常殺人の真実」  犯罪心理追跡班 

 

※このほかにも数冊所蔵。彼について書かれている本は、ページ数が少ない物も入れると、おそらく膨大な数になるので、特に詳しく書かれていると感じた一部をご紹介。 

 

あと、ネットでも「チカチーロ」でものすごいヒットしますし、かなり詳しく写真等と一緒に説明しているサイトも結構あります。 

 

 

ちなみにYou tubeも、チカチーロの動画(裁判の様子や海外の報道番組など)が意外に多いです。カタカナ表記ではヒットしてくれないんですが、「chikatilo」で検索かけると出てきます。 

 

その中で最近アップされた(おそらくロシアの番組だと思われる)動画がかなり充実した内容になっていました。 

チカチーロの裁判の様子や、実際にチカチーロが犯行を行った場所、警察関係者の話(もちろんロシア語は分からないけど、チカチーロに関する書籍に載っていた刑事さん等も出ています)、被害者(生前の写真・ただいくつか遺体の写真もあるので、一部かなり残酷な部分もあります)など。 

 

 

この動画は全部で6部構成になっているようです。その中の一部をアップしたいと思います。「続きが見たい」と思われる方は、You tubeで上記のワードで検索をかけてみたら出て来ると思いますので、そちらで。  

またかなり刺激の強い映像があるので、そっち系がダメな方はスルーなさって下さい。 

 

 

 

 

 

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>8812 カキコありがと^^ 悟空ひどすぎやろー(笑)あとね、北斗の拳は8812の言いよるのはアメリカで作られとるやつと思うんよ、あたしも知っとうやつ。それとは別にあたしが見たのは韓国版の方なんよ!やけん、ケンシロウもユリアも韓国人で韓国語のやつよ(爆)写真撮れんかったのが悔やまれるよ~!見せてあげたかったわ(苦笑) 本当に漫画を実写にして、良かったためしってないよね。分かってるはずなのに、懲りないねぇ(爆)その昔、ストⅡの実写も映画あったけど、ひどかったもんなぁ(苦笑)

>まむ  カキコありがと^^ 心理テスト。。やっぱちょっと当たってない?(笑)また楽しそうなやつ聞いたら載せるよ~♪楽しんでもらえてなにより^^

 

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津山三十人殺し

みなさま、こんにちは☆

 

   

さていきなりですが、、、

 

 

ついに入手しましたよっ!!!!(>▽<) 

 

 

なんだよ、いきなりって感じっすね。

 

じつはですね、最近親友がYahooオークションをよくやってると聞いて、商品を3点ほど競り落として貰ったのですよ~☆

 

「どうせまたくだらないもんだろ(汗)」と思ったアナタ!!

 

 

ご名答!!!(爆)

 

 

3点ほど買ったのですが、そのうちの一つを本日は紹介します♪

  

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←不思議ナックルズ!!! 

 

 

だって、この表紙見てくださいよ!買わないわけにはいきませんよ!ちなみにこの表紙は「津山三十人殺し」の犯人、都井睦雄その人です。

 

実はわしは一時期、おかしいんじゃないか?というほど、津山三十人殺しに興味を持っていた時期がありました。この当時の新聞記事を読むために、遠く離れた県立図書館まで足を運んだり、事件のあった貝尾に行こうと一時期は本気で計画していたほど(←結局は行きませんでしたが。)

 

みなさまは、「津山三十人殺し」という事件をご存知でしょうか?

 

この事件は1938年(昭和13年)に、岡山県苫田郡西加茂村のある集落で起こりました。犯人の名前は都井睦雄(とい むつお)、22歳。

彼は裕福な農家の長男(姉と二人兄弟)として生まれましたが、彼がまだ幼い頃に両親は他界。父方の祖母が姉と睦雄の二人を養育することになります。

 

彼の生まれ育った山村は、未だに夜這いの風習が色濃く残る村で、彼も村の女性達と次々に関係を持ちます。色白で美少年(若干トミーズ雅さんのような顔立ちですが)だった彼は女性にはかなりモテていたようです。

しかしある事をきっかけに、それまで親しかった女性達の態度が急変。それは村の徴兵検査の際に睦雄が当時、死の病と恐れられた肺結核と診断されたからでした。(実際には結核ではなく、肺尖カタルだったそう。) 

 

 

「あいつらは僕を馬鹿にしている。。」

 

 

こうして、睦雄の中に、徐々に殺意が芽生えていきます。 

 

そして、1938年5月20日、睦雄は黒い詰襟服、ゲートル、白鉢巻き、その鉢巻きに棒型の懐中電灯を二本、角を立てたように差込み、自転車用のナショナルランプを紐で首から胸に吊り下げ、さらに別の紐で胴に固定し、暗闇の中でも相手を照らし出すようにしました。

また日本刀一振りと匕首2口を左腰にさし、ひもでくくり、この上をさらに皮のベルトでしっかり締め、手には猛獣狩り用の改造ブローニング銃を持ち、ポケットには実弾100発をいれ、弾薬、実弾100発を入れた雑嚢を左肩から右脇にかけました。

 

まず、自分の祖母の首を斧で切り落とし殺害、その後、村の民家に侵入し、村人を次々に惨殺。わずか1時間30分で、30人を殺害したのです。

集落は23戸、人口111人。その内彼が襲ったのは12戸にのぼり28人を即死させ、重傷をおわせた二人もその後、死亡しました。 

 

その後、睦雄は険しい山道をかけのぼり、隣村との境界へとたどり着き、そこで遺書を書き、猟銃を自分の胸に当て、足の指で引き金を引き、自殺。

 

こうして、日本近代史上、最多の大量殺人であるこの事件は幕を閉じました。 

 

 

Photo_2  

 

←都井睦雄(あ・・下の方にわしのツメが。。汗)

 

 

    

 

ちなみに、横溝正史はこの事件をモチーフに「八つ墓村」を書いたといわれています。 

 

 

昭和の殺人事件を扱った本には、必ずといっていいほどこの事件は出てきます。そして、今回購入した雑誌の表紙、バリバリの都井睦雄じゃないですか!!内容としては、その後たった一人生き残った睦雄のお姉さんのことや、彼のお墓、また事件のあった村の古老の話など、かなり興味深かったです。  

不思議ナックルズは、こうやってたまに「津山~」の特集が組まれるから、チェックが欠かせない!!しかも、「津山~」のことが載ってるときほど、いつも買いそびれるわし。。(T皿T)

 

でも、なんで「津山30人殺し」にあれほど執着したのか、未だに自分でもよく分からないんですけどねー。津山に行って、睦雄のお墓に手を合わせに行く夢までみましたからね(苦笑)病んでたんだろうな、わし(元からか。爆)でもいつか機会があったら行ってみたいとは思っていますけど。 

 

昭和、平成と色々な事件が起こっていますけど、この事件だけはやっぱりわしの中で特別?なんですよね。 それに、、なんていうか悲しいんですよね。いや、殺人事件なんて少なからずそういう背景ってあると思うんですけど。犯人のしたことも許されることではないんですけど、、とにかく悲しい事件です。

 

ちなみに↓は、津山事件について詳しく書いてある本の一部です。興味がある方は、読んでみてください。

 

「津山三十人殺し」     筑波昭   新潮社

「ミステリーの系譜」    松本清張  中央公論新社

「八ツ墓村は存在する」  蜂巣敦  ミリオン出版

「週刊猟奇殺人事件」   雷韻出版

 

~漫画~

「負の啓示」  山岸涼子

「津山三十人殺し」 坂東いるか(こちらの睦雄はちょっと綺麗すぎかと・・・。)  

「実録 八つ墓村 惨劇の津山三十人殺し」(これは内容も充実していて、かなりオススメです。津山事件に関心のある方なら、ぜひ読んでおく事をおすすめします)

 

この他にもたくさん出版されています。津山30人殺しについてはかなり本を読んでる自信があるんですが、まだ実はいっぱいあったりするのかなー。気になります。

 

あと、この事件を小説にした、「丑三つの村」という小説を、先日某サイトで入手しました。これ入手するの苦労しました!古本屋とか本当にどこにもなかったんですよ!

ちなみにこの丑三つの村は、ビデオにもなってます。入手しましたが、事件が事件なだけに結構グロいですけどね。。(汗)でも俳優人は結構豪華だったりします。

 

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>8812  楽しい時間を過ごしてくれて、何より(笑)これ以外に当たってるよね?しかし弱肉強食って。。プッ!

>コムスン  お前さんの人生、何があるんだろう。。弱肉強食(爆)四面楚歌。。。なんだかマイナスな四字熟語多い?!気のせい?(笑)

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